全体から判断ができる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁96に、『電車に乗っていて、窓から見る景色は、平坦な同じ地上の景色が常に移り変わっていく景色である。

 

目の前のみえるものでしか判断もできない。

 

電車のように地上を横に移動する乗り物でなく、エレベーターのように、縦に移動する乗り物があったとしたら、窓からはどういう景色が見えるだろうか?

 

エレベーターのように上に上に上昇して行ったら、上がれば上がるほど全体が見えてくる。

 

その全体から見える部分でのものの見方や判断ができるのである。』とある。

 

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エレベーターのように上に上に上昇して行ったら、上がれば上がるほど全体が見えてくるのだね。

 

今、自分は自分で生きていると言う感覚が強いのであれば、5感で認識したものが全てで、肉体の自分を本当の自分であると思い込んでしまっている。

 

自分はその自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われている。

 

その囚われが、意識の向上を妨げていて、物事の全体が見えていないので、どうしても偏ったものの見方になってしまうね。

 

例えば、サッカー選手は、超一流になってくると、テクニックだけでなく、意識が高いからこそ、サッカーコートを真上から見ている感覚になっている。

 

意識が高まってくると、5感の認識を超えて、全体から判断できるようになるのだね。

 

意識を高めるには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、さまざまな気づきが増えてきて、自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かして頂いている存在だと思えてくる。

 

生命の本質に気づくことができる。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2

 

 

 

 

現実が最悪は最高の状態

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁94に、『もし、あなたが「今の自分はもう嫌だ!」「こんな生活もう散々だ!」と現状に対して不満だらけだとしたら、あなたは意識を向上させていく上で、最高の状態と言える。

 

現状に満足していいたら、きっとあなたはその世界から抜け出ることが難しいだろう。

 

ここが刑務所だとして、「もう、こんなところは嫌だ!!」と思っている人がいる。

 

もう一方で「刑務所も捨てたものじゃないな。

 

食事も出るし、なかなか心地よいところだ・・・」という受刑者もいる。

 

この場合、刑務所からいち早く抜け出る可能性が高いのはどちらだろうか?

 

「こんな思いは二度と嫌だ!」と、しっかりまじめに務めたほうが早く出られるのであろう。

 

現実面が最悪なのは、意識の世界から見ると、最高の状態ともいえるのである。』とある。

 

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現状に対して不満だらけだとしたら、あなたは意識を向上させていく上で、最高の状態と言えるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)で、不満無く生きているのは、最悪な状態になる。

 

本当の自分(真我)に気づくことなく、人生を終えることになってしまうからだね。

 

だから、偽我の自分を捨ててしまいたいぐらい追い詰められた時が、最高の状態になる。

 

どうすることもできない八方塞がりの時に、意識を上げることができ、真我である本当の自分に気づくことができる。

 

偽我の自分では全くどうすることもできなくなった時に、生命の本質に気づくことができ、自分は自分で生きていると言う思い込みが外れて、自分は宇宙に生かして頂いている存在だと思えてくるね。

 

そこからの発想で生きることで、物事の捉え方が変わってしまう。

 

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神のメッセージ 2

八方塞がりはチャンス

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁92に、『もし、あなたが何かの問題の解決に万策尽き果て、もうどうしようもないくらいに追い込まれていたとしたら、それは最高の状態なのである。

 

意識の世界では八方塞がりになったら、チャンスなのである。

 

それは、自分の力ではどうしようもないことを知ることだからである。

 

前にも右も左も後ろもダメなら、あとは上しか道は無いのだ。

 

上にあがるということは、意識を上げるということである。

 

だからこそ、意識を上昇させ、自らの実在である神に目覚める最も良いチャンスになるのである。』とある。

 

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もうどうしようもないくらいに追い込まれていたとしたら、それは最高の状態なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)で、とくに大きな悩みや苦しみも無いと、意識を上げることは難しい。

 

偽我の自分で、人生なんてこんなものだと固定化して捉えて、そのままの意識状態で人生を終えることになる。

 

そのような状況では、生命の本質、生きる本当の目的に気づくことは難しいね。

 

だから、八方塞がりになったら、生命の本質、生きる本当の目的に気づくチャンスと言える。

 

偽我の自分では、生きていくことができないくらい、大きな悩みや苦しみが生じることで、真剣に偽我の自分を見つめることができるので、意識を上げることができるのだね。

 

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神のメッセージ 2

 

豊かさが引き寄せられる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁90に、『これからの新しい本物の時代というのは、今までの発想と逆なのである。

 

集めて山のようにするのではなく、穴を掘っていったら、その穴に周りから自動的に水が入ってくるような感覚である。

 

向こうから、豊かさがどんどん引き寄せられてくるのである。

 

山のように自分のところに集めるのは、大変な努力がいるのである。

 

しかし、穴を掘る発想は労力が要らないのである。

 

山と穴、この二つは同じ量だとしても、山のほうは敵を作る可能性がある。

 

それは、奪う人があれば奪われる人がいるからのである。

 

山の方は大変疲れるのである。

 

また、集めたものが崩れるのが怖くなってくるのである。

 

掘ったものを捨てていくことによって、代わりが入ってくるのである。

 

これが『捨てる哲学』なのである。

 

今まで入っていたものを捨てるのである。』とある。

 

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掘ったものを捨てていくことによって、代わりが入ってくるのだね。

 

自分の内側が、想念や妄想でごちゃごちゃ混乱していると、良いものが入ってこない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分の内側の混乱は酷くなっていく。

 

自分の内側を静めて、綺麗にしていくには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続けることだね。

 

そうすることで、自分の内側が静まり、綺麗になっていき、心が空っぽになった状態になると、宇宙からのエネルギーが入ってくる。

 

素晴らしいエネルギーが満ちてくることで、至福感に包まれながら、日常生活を送ることができる。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2

どんどん良い人生を歩む

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁84に、『私たちの、現在の人間関係における摩擦や問題は、両親との関係が基本になっている。


両親とのボタンの掛け違えを修復するだけで、運命の展開が変化してくる。


水道の蛇口をひねると水が出てくる。


しかし、その水は鉄管を通して貯水タンクまで繋がっているのである。


両親との関係を水道の蛇口に喩えると、鉄管は先祖に喩えられる。


そして貯水タンクは神である。


水道の蛇口をひねって水が出てきたら、鉄管を始め貯水タンクと全部の水が動き出す。


だから、あなたが両親に本当の意味で繋がったら、先祖も神も全部あなたの味方になってくれるのである。


そして運命が大きく変わってきて、あなたが思いもよらない部分でどんどん良い人生を歩むことが可能なのである。』とある。


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両親とのボタンの掛け違えを修復するだけで、運命の展開が変化してくるのだね。


生命の本質を理解し、そこからの発想で行動することで、人生は良くなっていく。


自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていて、そこからの発想で行動することは、生命の本質からズレていく。


あらゆるものは繋がっているので、個体意識での発想は上手くいかない。


誰もが目には見えないのだけれど、繋がっている。


例えば、とても攻撃的な人を裁く人がいて、できればその人と関わりたくない、話したくないと言う思いが強まったとしたら。


その思いは、個体意識からの発想で、偽我の自分を傷つけられたくない、偽我の自分を守ろうとしているからだね。


さらには、その思いで、攻撃的な人だと思い込んでいる人に対して、目には見えないところで、こちらから既に攻撃していることになる。


攻撃的な人だと思い込んでいる人は、その攻撃された思いに反応して攻撃してくるのだね。


誰もが偽我の自分を守ろうとしていて、その自分を愛して欲しい、認め欲しいのだと、気づくことができるね。


だから、こちらから認めてあげて、愛を与えることができていれば、誰も攻撃してくることはないことが理解できる。


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神のメッセージ 2


 

自然に執着を手放す

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁82に、『よく、執着を手放せと言うが、そう簡単に手放せるものではない。

 

強引に手放そうとすると、同時に大きな抵抗が生まれ、より執着してしまうのだ。

 

そうではなく、執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのである。

 

モノやお金にどれだけ執着したところで、自分の命には代えられない。

 

人が、命そのものでもある『真我』に目覚めるとき、その大いなる愛そのものの喜びの体験をし、「お金もモノもプライドも、全て真我の代替品を追い求めていたに過ぎなかった」ということに気付き、執着していたものを自然に手放せるのである。』とある。

 

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執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのだね。

 

そのもっとも価値あるものが、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)になる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、その本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、本当の自分(真我、満月、まんまる)に気づきを深めていく。

 

自分は自分で生きているのではなく、真我のエネルギーで生かして頂いている存在なのなのだと思えてくる。

 

常に生命の本質を感じながら生きることで、自分が囚われていたものが外れていく。

 

囚われていたものは、自分で価値あるものだと思い込まされてしまっていた、もしくは価値があるのだと思い込んでしまっていたものになるが、それよりも遥かに価値があるものに気づいていくことで、囚われていたものが、外れていくのだね。

 

あの人はああだとか、この場合はこうしなければとか、裁く心がどんどん無くなっていく。

 

仮に、誰かを責めたり、自分を責めたりしていたら、「あっ、何かに囚われている。」と気づくことだね。

 

その気づきで、囚われていたものを、どんどん外していく。

 

何ものに囚われなくなっていくことで、良い悪いの感覚が薄れていき、ありのままの自分、さまざまな出来事を、素直に受け入れることができる自分になっていくね。

 

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神のメッセージ 2

元は一つの光源である

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁80に、『神が人間を創造した、という言葉がある。

 

しかし、この言葉は「作ったものと作られたもの」という二元論であり、これが分離意識の始まりになり、全てがひとつ、という神を表現した正確な言葉ではない。

 

では、どう表したらよいのか?

 

ちょうど、太陽の光は無色透明の中に全ての色を含んでいて、その光がプリズムを通すと、屈折によって赤や青や黄色、紫色と、あらゆる色に分光する。

 

これと同じように、神が、人間として現れたり、犬として、猿として、花として、木として、水として、空気として、地球として、月として・・・と、あらゆるものに顕れたものなのである。

 

この世の全てのものは、神によって作られたのではなく、『全てが神の顕れ』であって、元は一つの光源なのである。』とある。

 

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この世の全てのものは、神によって作られたのではなく、『全てが神の顕れ』であって、元は一つの光源なのだね。

 

人の5感で認識たものが全てと思い込んで、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、分離意識が強まる。

 

真理は元は一つなのに、分離意識が強まると言うことは、調和から不調和になっていることになる。

 

不調和になっていると、それが現象として現れてくる。

 

悩みや苦しみが生じたり、病気となったりする。それは宇宙からのメッセージであり、不調和だから調和してねと言うものになるね。

 

それは有難いものであり、そのメッセージが来たら、いち早く気づき、調和すれば良い。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、どんどんエネルギーが満ちてくる。

 

それは、宇宙から調和しているねと言うメッセージだね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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シッダーマスターが示す悟りへの道