縦の環境が劇的に好転

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁84に、『夫の先祖を、妻の先祖を、自分の先祖以上の気持ちで供養することは、とても重要なことである。

 

命という縦のつながりは、自分の先祖だけで成り立っているものではない。

 

自分に父と母がいて、伴侶にも父と母がいる。

 

そのあなたと伴侶の間に生まれた子供は、4人の祖父、祖母がいることになる。

 

自分の父母は敬うが、伴侶の父母はどうでもよいとなると、自分の子供を否定することになるのである。

 

伴侶の先祖を心から扱うと、親、夫婦関係、こども、孫、あなたのものとも言えるこの縦の環境が劇的に好転していく。

 

なぜなら、心の世界はつながっているからだ。

 

この世に生を受けたあなたは、過去の因縁を断ち切る重要な役割を果たすために、先祖は総動員であなたの背中を押している。

 

この宇宙の真理に気づくこと、これこそがもっとも強力な、たすきがけの先祖供養である。』とある。

 

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伴侶の先祖を心から扱うと、親、夫婦関係、こども、孫、あなたのものとも言えるこの縦の環境が劇的に好転していくのだね。

 

自分は自分で生きていると言う思いが強いと、命と言う縦のつながりからの発想はできない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いているので、過去の記憶としてインプットされているものに囚われてしまっている。

 

5感の認識が全てであるところの個体意識による発想から抜け出すことができない。

 

偽我の自分ではなくて、本当の自分に意識を向けることで、自分は宇宙に生かしていただいている存在だと思えてくる。

 

個体意識ではなく、全体からの発想ができるようになってくるね。

 

本当の自分は、誰もに内在する究極の全体意識になり、そこに意識を向け続ける。

 

心は偽我であり、心の中の想念や妄想を静めていいくことで、本当の自分である真我に気づいていく。

 

もともと真我であるのだから、そうなんだと捉えると、真我が現れてくるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

価値観や固定観念を外す

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁82に、『人は、何かをしようとするときに、設計し計画を立てて、まずシステムを作ってから、その中に事側を当てはめようとしがちである。

 

しかし、このやり方では、意図しない出来事が起きてしまうと、システムありきになって対応ができなくなる可能性がある。

 

特に新しいことを始めようとするときには、頭の世界で考えた通りにしようとしても、人や社会の反応はその通りにいかない場合が多い。

 

本来は、まずやってみる。

 

そして、やってみた結果をシステムにしてくのである。

 

子どもを育てる場合も、育児書の通りにはならない。

 

一般常識や自分の考えをはずして、子供の反応を見ながら、それに対応していけばよいのである。

 

そこに、価値観や固定観念が先に来るから、ちぐはぐになるのである。

 

万事において、まずはやってみる、反応を見る、それに合わせる。これをやっていけば、矛盾は起きないのである。』とある。

 

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 頭の世界で考えた通りにしようとしても、人や社会の反応はその通りにいかない場合が多いのだね。

 

人の価値観はさまざまであり、違って当たり前と捉えて、そこを何とかしようとはしない。

 

相手の偽我を何とかしようとするのは、偽我の自分なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていて、過去の記憶としてインプットされているものに囚われ、そこからの個体意識での発想になっている。

 

満月の法則で言うなら、三日月の自分で、相手の三日月を見て、三日月鏡になっている。

 

これでは自分も相手も受け入れることができないね。

 

囚われてしまっている価値観で、自分と相手を見境なく裁き続けることになる。

 

エネルギーが消耗して、悩みや苦しみが生じて、とても疲れる。

 

では、どうしたら良いのだろうか?

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

価値観からの発想ではなく、愛そのものからの発想になり、自分も相手も裁くことなく、受け入れることができるようになってくる。

 

どんどんエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

 

みな等しく真我の存在

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁80に、『人間はみな等しく真我の存在である。

 

真我とは、宇宙意識、内在する神、全体意識、歓喜、あるいは愛と感謝の心、仏心などと表現できる。

 

真我は、人間のもっとも奥深い部分に内在するただひとつの実相であり、それより浅い部分い無限の意識次元が存在する。

 

あの人は意識が高い、この人は意識が低いという言い方をするが、意識が高くても低くても、その中間でも、人間は等しく真我なのである。

 

意識の高い人が優位で、低い人は劣るわけではない。

 

みな、過程なのだ。

 

今、どの意識次元で生きていても、それは一つの過程であり、変化してく可能性があるのである。

 

しかしながら、どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのである。』とある。

 

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人間はみな等しく真我の存在なのだね。

 

5感で認識したものが全てであり、その思い込みが強固であると、このことに気づくことはできない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶としてインプットされているものの囚われから抜け出すことができない。

 

どうしても囚われているものからの発想となってしまう。

 

その囚われから抜け出すには、どうしたら良いだろうか?

 

例えば、憤りや怒りが生じたら、自分は何かに囚われているからと、自分を俯瞰して見つめて見る。

 

何かに囚われているのだなとすることで、その囚われているものを手放していく。

 

真我の自分は愛そのものだから、マイナスの感情が生じたら、これは偽我の自分に意識が向いていると言うメッセージと捉える。

 

「あっ、偽我に意識が向いている。」と解釈して、速やかに真我に意識を向けるようにする。

 

これを淡々と繰り返していくことで、いろいろな気づきが生じて、自分は真我の存在であることの確信が深まっていくね。

 

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図解 神のメッセージ3

最も良き瞬時の判断

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁78に、『なかなか恋人ができない、結婚ができないという人には、心の門番がいることが多い。

 

心の門番というのは、相手が現れても、この人は違うと追い払ってしまう。

 

心の作用のことである。

 

例を挙げると、以前交際していた人に騙されたり、裏切られたりしたことがあるとしたら、もう二度と同じ目には遭わないと、相手が現れてもバリアを張ってしまうということがある。

 

本当は、その人は以前の人とは違うはずなのに、心がそのように作用してしまうのである。

 

また、悪い経験ばかりが門番になるのではない。

 

以前交際していた恋人が、とても魅力的な人で、声や表情や立ち居振る舞いが素敵だったとしよう。

 

そうすると、次に現れた人を、無意識に、ここが違う、あそこがなっていないと、以前の恋人と比べてしまう場合がある。

 

このように、自分にとって良い出来事と思われることも、門番になってしまう可能性があるのである。

 

心の門番を取り払うには、真我で物事を見ていくことだ。

 

真我で見ると、過去の出来事に振り回されることなく、今、もっとも良き判断が、瞬時できるようになるのである。』とある。

 

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自分にとって良い出来事と思われることも、門番になってしまう可能性があるのであるのだね。

 

過去の記憶としてインプットされているものに囚われてしまっていると、それをベースにしてしか発想できなくなってしまう。

 

どうして囚われてしまうのかは、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に、意識が向いているからになる。

 

囚われているものを外そうとしても、逆に囚われを強固なものにしてしまう。

 

外そうとするのは、偽我の自分を自分だと思い込んでしまっていることになるからだね。

 

そうではなくて、偽我の自分を俯瞰して見つめ、囚われているものに気づいたら、それを手放していく。

 

そして、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

何ものにも囚われていない本当の自分(真我)であれば、最も良き判断が瞬時にできるのだね。

 

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図解 神のメッセージ3

すべて学びであり成功

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁76に、『私たちは物事が起こると、それに一喜一憂する。

 

感情や価値観に振り回されて、これは良いこと、これは悪いことと受け止めてしまう。

 

しかし、本来、その事象には良いことも悪いもない。

 

良いと判断する土壌があなたの中にあるから、良いこととなり、逆に悪いと判断する土壌があるから、悪いこととなるのである。

 

起きている事象そのものには、本来、意味はないのだ。

 

そのような結果になる原因があったから、その事象が起きているだけである。

 

その結果がどうであれ、それらはすべて学びであり成功である。

 

失敗、成功と捉えるものも、ひとつの捉え方に過ぎない。

 

たとえば、失敗と思ったことから学んだものはすべて成功になるではないか。

 

やったことはすべて成功なのである。

 

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感情や価値観に振り回されて、これは良いこと、これは悪いことと受け止めてしまうが、本来、その事象には良いことも悪いもないのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、インプットされている基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われて、そこからの発想で良い悪いを判断し続ける。

 

そのため、自分や相手を裁き、認めることができない。

 

目の前の現象に対して、その基準で反応してしまい、振り回されることになる。

 

そうならないためには、心の動きを俯瞰して見続ける。

 

目の前の現象に対して、心がどのように反応してあるかを俯瞰して見続けることで、囚われてしまっているものに気づいていく。

 

どんどん囚われている自分に気づき、その囚われているものを手放していく。

 

例えば、子供の学校での悪い成績を見たら、どのように心が動くのかを俯瞰して見る。

 

大きく何か反応したら、何かに囚われている。

 

それに気づき、それを手放していく。

 

囚われているものを手放していくことで、心が軽くなっていくね。

 

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図解 神のメッセージ3

人生は自分で決めてよい

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁74に、『人は誰しも、自分の成長を望んでいる。成長とは、教えや考えという知識を増やすことではない。

 

本当の成長とは魂の成長のことを言う。

 

一枚一枚、薄皮を剥ぐように、昨日まで自分ができなったことを、今日はできるようになることである。

 

人は、自分自身が限界を作っているのである。

 

仕事に喩えて言うと、上司にはこんなことを言っても通じないだろう、あのお客様はこの商品を必要としていなだろう、クレームのお客様はもう買ってくれないだろうなど、自分の経験や思い込みで枠を決めてしまうのである。

 

その枠を超えていくことが自分の成長である。

 

上司やお客様について、相手が悪いと言っていたら、あなたの人生は他人に委ねているということになる。

 

自分の人生は自分で決めてよいのである。

 

今日までここまでできたのだから、明日はもっとそれ以上のことができる。

 

自分の周りに起こることは、すべてがチャンスなのである。』とある。

 

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自分の経験や思い込みで決めてしまっている枠を超えていくことが、自分の成長なのだね。

 

この枠は人によってさまざまだと思うが、例えば「疲れる」ことに関しては、どうだろうか。

 

何かをやれば「疲れる」のが、当たり前だと思い込んでいないだろうか。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に、意識を向け続けることで、気づいたことは、人は「疲れない」ようになっていることだった。

 

これには本当に驚いた。

 

人は誰もが、極楽の状態で生きることができるのだね。

 

それなのに、どうして「疲れる」のかは、心の中が想念や妄想で混乱しているからだった。

 

この状態は、宇宙からすると異常な状態なのだけれど、それに慣れて感覚が麻痺していることになっている。

 

だから、直ぐに疲れてしまい、自分の外側にいくら幸せを求めても、その求めているもの自体が、本当の幸せとはかけ離れたものになってしまっている。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)を、いくら幸せにしようとしても、本当の幸せは訪れないからだね。

 

もともと本当の自分は、愛そのものなので、そこに気づいていくことで、本当の幸せが訪れる。

 

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図解 神のメッセージ3

幸せに通ずる道

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁72に、『あなたの人生そのものも、全体と個の融合である。

 

人生の中に、仕事があり、家庭生活があり、地域社会の生活がある。

 

ここで、仕事は仕事、家庭は家庭と切り離して考えてしまうと不調和が発生する。

 

仕事だけに精を出してお金が溜まったとしても、家庭での人間関係が悪かったり、健康を害してしまったりしたら、それで人生は満足であろうか。

 

死ぬときは、お金も土地も財産も家族も、すべてを置いていかなければならない。

 

であるならば、死ぬときに、自分がどのような人生であるのが良かったのかという、死から生を見てそれに沿うことが幸せに通ずる道なのである。

 

生まれてから死ぬまでのあなたの人生を全体としたときに、仕事はどのようにしたらよいか、家族とはどうしたらよいか、お客様とはどのようにせっしたらよいかがおのずとみえてくるのである。

 

あなたの人生という全体と、人生の側面である個を融合していくのである。』とある。

 

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死ぬときに、自分がどのような人生であるのが良かったのかという、死から生を見てそれに沿うことが幸せに通ずる道なのだね。

 

目先のことで頭が一杯で、目の前の現象に振り回されていると疲れるし、悩みや苦しみも生じる。

 

そうなってしまっている思考の枠を広げていくことで、物事の捉え方が変わるね。自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされている基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われていて、それをベースに発想してしまうので、「できていないこと」や「悪いと思い込んでいること」ばかりに目が行ってしまう。

 

そうではなくて、「できていること」や「良いこと」だけに目を向けることで、豊かになってくる。

 

死から生を見るなら、「今、生きている」と、この素晴らしさを感じる。

 

「体が動く」と、この素晴らしさを感じる。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続けることで、囚われていたものが外れていき、もともと豊かである自分に気づくことができる。

 

本当の幸せは、頭で描いたことを実現することではなく、本当の自分である真我に気づいていくことだね。

 

このことに関する確信が深まることで、どんどん豊かさを感じている割合が増え、常に豊かな自分になることができる。

 

なぜなら、もともと豊かだからだね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3