両親の影響はとても強い

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁14に、『両親との関係は、人生に大きな影響を与える。

 

なぜならば、両親との関わりの中に、根本原因と環境原因どちらも入っているからである。

 

人は、生まれたときから、両親の遺伝子の記憶を引き継いでいる。

 

また成長の過程で、両親の言動や育てられ方が記憶として残っていく。

 

さらには、前世の記憶も織り込まれて生まれてくる。

 

そのように膨大に蓄積されたものが、あなたの中にある根本原因である。

 

いわば、根本原因は、命という縦の環境の中で培われてきたものである。

 

一方、その時代を過ごす、いわば時間という横の環境で起こることが環境原因となる。

 

兄弟、友人など、様々な人と時間を共有するが、一般的には両親との時間が一番長い。

 

因(根本原因)が反応して果(現象)となり、その果は次の因となっていくのである。

 

このように、両親の影響はとても強いのである。』とある。

 

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人は、前世の記憶も織り込まれて生まれてくるのだね。

 

自分でも分からないような、その記憶がインプットされていて、自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)になり、その基準に囚われて生きてしまうことになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)である心と肉体に、意識が向いていると、その基準の囚われが強固なものとなって、宇宙からするとどんどん不調和な存在になっていく。

 

例えば、何々の法則で、偽我の自分の願望を成就させようと、頑張れば頑張るほど不調和になり、仮にその願望が成就できたとしても、後からバランスを取るための反動が来るのだね。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

偽我の自分の願望の成就ではなく、自分の内側から湧き上がるエネルギーを高めていく。

 

そこからの発想で生きることで、もともと豊かな本当の自分(真我)に気づいていく。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

心の中に根本原因がある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁12に、『Aさんとはとても馬が合うし仲良くできる。


ちょっとしたことがあっても、よい関係でいることができる。


一方、Bさんとは、会えば、すぐに言い合いになってしまう。


だから、Bさんとは関わらないようにするということで解決するのかというと、それは表面的なことにすぎない。


AさんやBさんでなくても、同じようなタイプと出会うと、あなたの心はいつでも同じように反応して、同じような結果になってしまうのである。


あなたの心の中に根本原因があるからである。


AさんやBさんが、現れようが現われまいが、あなたの心の中には、そのタイプはうまくいく、反対に苦手という因があるのである。


それが、表に現れるかどうかは、外界の縁が訪れるか否かということである。


因(タネ)である根本原因が、縁という環境原因と反応して、結果となるのである。』とある。


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AさんやBさんでなくても、同じようなタイプと出会うと、あなたの心はいつでも同じように反応して、同じような結果になってしまうのだね。


心に従って生きると、心の反応に振り回されることになる。


その心の反応は、心の中の根本原因によるもので、思い通りにはならないのだね。


心の反応に振り回されずに生きるには、その心を超えていくことになる。


そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。


偽我の自分に意識をが向いていると、心の反応に振り回される。


だから、心の反応に振り回されたら、偽我の自分に意識が向いているから、本当の自分(真我)に意識を向ければ良いと気づくことだね。


そして、直ぐに本当の自分(真我)に意識を向ける。


やり続けることで、心を超えていくことができ、目の前の現象を適切に捉えることができるようになっていく。


今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3



囚われの無い世界を生きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁120に、『あなたは、「愛という言葉の反対語は何でしょう」と問われたら何と答えるだろうか?

 

普通は、「憎しみ」とか「恨み」と答えるはずである。愛には、「執着の愛」と、「放つ愛」がある。

 

「執着の愛」とは、自分のものにしようという、エゴから来るものである。

 

「放つ愛」はまさに宇宙の愛、神の愛である。

 

「執着の愛」の反対語は「恨み、憎しみ」かもしれないが、「真我の愛、本当の愛」の反対語は「価値観」である。

 

「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の「価値観」同士が対立して争いが起きるのである。

 

本当の愛は、全ての価値観を包括した、囚われの無い世界である。』とある。

 

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「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の「価値観」同士が対立して争いが起きるのだね。

 

幸せになるためには、今、持っている願望を成就することだと思い込んで、頑張ってしまっているとしたら、どんどん不調和になっているかもしれない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)の願望は、個体意識からのものであって、仮にその願望が成就したとしも、後からバランスを取るために、偽我の自分にとって不都合なことが、生じることになるかもしれないね。

 

偽我の自分を優先させると、目の前の現象に振り回され、悩みや苦しみの多い人生となってしまう。

 

そうならないためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。そうすることで、囚われていた価値観を外していく。

 

どんどん気分が軽くなっていく。

 

目の前の現象に振り回されることがなくなるね。

 

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神のメッセージ 2

知らない世界が無限にある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁118に、『よく「わかった」と言うが、本当にわかっているのだろうか?

 

あなたが一度も聞いたことも、食べたことも無い料理があったとする。

 

その料理の原材料や調理過程など事細かに聞いて、どうですか?とメニューを出されたとき、「わかりました」と言った人は、一番分かっていない人である。

 

もう少し分かった人は「わかりませんよ、食べていませんか・・・」と言う人である。

 

そして本当にわかった、というのは、その料理を実際に口にして「私の味覚でわかりました」と言う人である。

 

これを真我の追求で言うと、真我はこうですよ、という概念を頭で理解したところがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのである。

 

そして、真我は宇宙であり無限だから「ここまで分かった。でも、更に自分の知らない世界がこの先に無限にあるんだ」という姿勢が大切である。』とある。

 

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真我はこうですよ、という概念を頭で理解したころがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている偽我の自分で、「ああだ」「こうだ」と頭でいくら理解しても、偽我の自分で捉えていることに変わりなく、個体意識からの発想を抜け出すことはできない。

 

自分は自分で生きているのだと言う思いが強く、偽我の自分にインプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)で、目の前の物事を捉えることになる。だから、相手や自分を裁く心が常にあるのだね。

 

その基準の囚われが強固なので、いろいろ認めることができない。

 

とても息苦しい生き方になり、喜ぶことでさえ、その基準をクリアしなければと思い込んでしまっている。

 

偽我の自分が思っている通りになることで、幸せになれると思い込んでしまっているのだね。

 

では、どうしたら良いのだろうか?

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、自分は自分で生きているのだと言う思いが薄れて、自分は宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

自分の内側からの湧き上がってくるエネルギーを感じることができ、常に満たされた自分に気づくことができる。

 

目の前の物事を素晴らしく捉えることができるようになってくるね。

 

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神のメッセージ 2

常に満足した自分からの発想

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁116に、『真我は完全である。

 

なのに、どうして私たちには一見不調和と思われることが顕れるのだろうか?

 

それは、私たちには不完全な心があるから、心が波立つと、歪んだ現実が現象面に見えるのである。

 

これは、月が自分なだとして、夜空に浮かんだ月を自分とみるのか、湖の湖面に映った月を自分とみるのかという視点の違いによって、捉え方が変わるのと同じである。

 

湖に映った月に、風が吹き込み、湖面に波立ちによって歪んで映っているだけであって、真我は常に完全であるのと同じである。』とある。

 

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私たちには不完全な心があるから、心が波立つと、歪んだ現実が現象面に見えるのだね。

 

心を自分だと思い込んでしまっていると、歪んだ現実を捉え続けることになる。

 

歪んだ現実を捉えていても、それは心であって、自分が自分だと思い込んでしまっている偽我の自分であって、本当の自分(真我)ではないと解釈すれば良いね。

 

解釈だけではなく、本当にそうとしか思えなくなり、更には本当の自分である真我で現実を捉えるためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、意識が高まり気づきが増えて、目の前の物事の捉え方が素晴らしく変化していく。

 

自分の内側に、もともと豊かな自分に気づいていくことで、常に満たされた状態になり、常に満足した自分からの発想になるのだね。

 

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神のメッセージ 2

 

なぜ自由が欲しいのか?

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁114に、『この資本主義の社会に生きて行くうえで、「お金が欲しい」というのは、極く自然な思いである。

 

しかし、本当にあの「お金という紙切れ」が欲しいのだろうか?

 

そうではなく、お金によって手に入る自由が欲しいのである。

 

仮に今あなたが、何でも即手に入れることができる自由が与えられていたら、お金は必要無いだろう。

 

では、なぜ自由が欲しいのか?

 

それは、自由になって満たされたい、喜びたいのである。

 

では何故それを求めるかといったら、本来は、満たされ、喜び、愛そのものである「本当の自分(=真我)」を見失っているからなのだ。

 

だから、愛されたい、満たされたい、喜びたい、という欲求になり、最終的にお金という、真我の代替品を追い求めているのである。』とある。

 

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自由が欲しいのかは、満たされ、喜び、愛そのものである「本当の自分(=真我)」を見失っているからなのだね。

 

それなのに、自分の外側のものを求め続けるので、その欲望は尽きない。

 

仮に、偽我の自分の思い描いた通りのものを全て手に入れたとしても、そのことに慣れて飽きてしまって、更なる欲望が湧いて来るのだね。

 

偽我の自分の喜びは感覚的ものだけれど、本当の自分(真我)の喜びは体の芯からの、魂からの喜びなので、全く異なり比べようのないくらい素晴らしい。

 

その真我の喜びで、常に生きるには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2

心で思えばそのとおりになる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁112に、『普段、あなたが「これが私の財産」というときの「これ」のは、どこまでのことだろうか?

 

私たちは、心の存在だから、心で思えばそのとおりになるのである。

 

私の財産はこれだけ、と限定したら、その分だけが財産となる。

 

しかし、その限定を全て手放したら、全てが自分の財産になる、ということにもなるのである。』とある。

 

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私たちは、心の存在だから、心で思えばそのとおりになるのだね。

 

自分でも分からないないような過去の記憶や頭にインプットされている、自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われてしまっているので、思いたくても思えないね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分に意識が向いていると、自分の中の基準の囚われが、どんどん強固なものになってしまう。

 

気分が重くなる方向だね。そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分に意識を向け続ける。

 

とにかくやり続けることで、気づきが生じて、自分の中の基準の囚われが外れていき、気分が軽くなっていく。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2