自分で自分は変えられない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁98『コップに入った水を変化させようとする時、それと同じ水をいくら混ぜても、コップの中の水は何も変わらない。

 

しかし、インクを一滴入れると、たちまちコップの中の水は変わってしまう。

 

自分を変えようとする時も、自分でいくら考えても、自分は変わらないのだ。

 

なぜならば、いくら考えたとしても、結局は自分の考えに過ぎないからだ。

 

考えれば考えるほど、自分の考えが強くなるだけなのだ。

 

しかし、人と出会うことによって、自分の心に化学変化が起きるのだ。

 

人との出会いによって、初めて発想が変わってくるのだ。

 

自分を変えようとする時には、どうしても人の協力が必要なのだ。自分自身では、いくらがんばって考えても、自分の枠から出ることができないのだ。

 

自分で自分は変えられないことを知ることである。』とある。

 

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自分自身では、いくらがんばって考えても、自分の枠から出ることができないのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向ていると、偽我の自分で自分を変えようとして、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というものに縛られ続けることになってしまう。

 

常に自分を認めることができず、不満足なのなのは、自分や相手を裁くことで、エネルギーを消耗しているからだね。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてくると、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、自然に自分の外側への欲望は生じなくなり、目の前の現象に振り回されなくなる。

 

悩みや苦しみによる重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

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神のメッセージ―究極の悟りを求めているあなたへ

魂の目覚めのスピードアップ

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁96『エジソンが伝統を発明して以来、現代のコンピュータに至るまで、科学は凄まじい勢いで発展している。

 

科学者たちは、すでに開発されたものを土台に、さらに研究を重ねてきた。

 

科学はちょうど、前走者からバトンを受け継いで走る駅伝スタイルなのだ。

 

それに対して、魂の世界は、二千五百年前の釈迦、二千年前のキリストの教えを、未だに実生活に活かすことができず、あまり進化しているようには見えない。

 

魂の世界は、いつもゼロからスタートしてきたのだ。科学の発達のスピードと比べ、魂の目覚めのスピードは、あまりにも遅いのだ。

 

科学の発達に伴い、魂も発達しないと、人類は滅亡の危機にさらされてしまう。

 

今最も必要なのは、魂の目覚めのスピードアップである。

 

魂の世界も駅伝スタイルにし、実生活の中で活きるようにしなければならない。』とある。

 

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科学の発達に伴い、魂も発達しないと、人類は滅亡の危機にさらされてしまうのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」として、自分や相手を裁き続けることになる。

 

いつまでもエネルギーを消耗することが止められないので、常に自分の内側が満たされず、それを補うために、自分の外側への欲望が生じる。

 

たとえ、その欲望が叶えられても、束の間の喜びであって、自分の内側が満たされることは無いので、また新たな欲望が生じ、それは尽きないのだね。

 

自分の内側が満たされない欲望を追いかけるのではなく、本当に自分の内側を満たすためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、目の前の現象に振り回されることなく、フラットな状態で、一瞬、一瞬の判断が適切となり、上手くいくようになっていくのだね。

 

悩みや苦しみの重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

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実体のない業やトラウマは消える

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁94『業(カルマ)は、人間の想念が潜在意識に染み込んだものであり、細胞に記憶された思い込みである。

 

これはちょうど、来ている洋服に染みがついたようなものだ。

 

しかし、洋服は汚れていても、体までは汚れない。同様に、業やトラウマで心が汚されていても、真我までは汚されないのである。

 

業やトラウマの方を見るのではなく、真我の方を見るのだ。

 

真我は決して汚れていないのだ。

 

汚れで洋服が汚れたら、その洋服を着替えればいいだけだ。

 

真我に目覚めれば、自動的に洋服を着替えることができるのである。

 

苦しみの洋服から喜びの洋服に変わるのだ。

 

真我に目覚めれば実体のない業やトラウマは消えてなくなるのだ。』とある。

 

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業やトラウマで心が汚されていても、真我までは汚されないので、業やトラウマの方を見るのではなく、真我の方を見るのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向ていると、業やトラウマの方を見てしまう。

 

そによって、目の前の現象に振り回されて、悩みや苦しみの多い生き方になってしまう。

 

細胞に記憶された思い込みに囚われて、視野が狭く偏った物事の捉え方になってしまうからになる。

 

そうなならないためには、偽我の自分で偽我の自分を変えることはできないので、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、偽我の自分が薄れてきて、今までの自分を忘れてしまう感じになる。

 

心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

その豊かな自分で在り続けることで、自然に自分の外側への欲望は消えていき、目の前の現象に振り回さることがなくなる。

 

悩みや苦しみの重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

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誰ともぶつからない無敵の世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁92『人はなぜ苦しむのか、なぜ悲しむのか、なぜ辛いのか、なぜ病気になるのか・・・。

 

それは、障害があるからだ。自分の考えと相手の考えが違うから、人とぶつかるのだ。

 

生きてきた環境、家柄、宗教や思想、人種や肌の色がみな違う。

 

そういった人との違いを見ていくと、ぶつかり合いはなくならない。

 

しかし、みな命としては一つだと、みな仲間だと悟った時、ぶつかり合いはなくなるのだ。

 

どんな環境にいようが、素晴らしい人生を切り開いていけるのだ。

 

ちょうど、一切の障害物がない大草原を、ブレーキを踏まず、アクセルだけでクルマを走らせるようなものだ。

 

みな一つ、みな愛だと悟った時、誰ともぶつからない無敵の世界になるのだ。』とある。

 

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みな命としては一つだと、みな仲間だと悟った時、ぶつかり合いはなくなるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識したものだけに囚われてしまうっているので、肉体という個体を強く意識することになり、分離感が強まる。

 

頭では「みな命として一つだ。」と理解したとしても、心の底からは、そうとは思えない。

 

頭による理解ではなく、自分の体を通して、「みな命として一つだ。」ということに気づいていくには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向ける続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてくる。

 

自分は自分で生きているのではなく、このエネルギーで宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

目には見えないエネルギーが、目に見える総てを顕しているのだと思えてくると、「みな命として一つだ。」ということが、本当にそうなのだと思えてくる。

 

その結果として、視野が狭く偏った物事の捉え方が変わり、より全体から物事を捉えることができるようになっていく。

 

自然に重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

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才能は生まれた時から備わっている

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁90『人間の才能とは、もともと生まれた時から備わっているものである。

 

才能を発見するためには、最初は何でもいいからチャレンジしてみることである。

 

営業、技術、スポーツ、芸術、医療と、大きく幾つかの分野に分けてチャレンジしてみるのだ。

 

その中から、興味を持って打ち込める分野が、必ず見つかるはずだ。

 

地面に穴を掘る時、簡単に深くまで掘っていける箇所があるものだ。

 

それが才能のある分野を見つけ、その中でもさらに奥深くまで掘っていけるポイントを見つけるのだ。

 

それこそが、あなたが天才になれることなのだ。

 

そして、それが、あなたの生きている使命でもあるのだ。』とある。

 

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人間の才能とは、もともと生まれた時から備わっているものなのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、インプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われて、自分や相手の足りないところを探しては、それを補おうとする発想に終始する。

 

自分や相手を裁き続けることで、エネルギーが消耗し続ける。

 

視野が狭く偏った物事の捉え方になり、目の前の行商に振り回され続けることになる。

 

悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まって、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、目の前の現象に対して、フラットな状態で、一瞬、一瞬の判断が適切となり、上手くいくようになっていくのだね。

 

悩みや苦しみの多い重苦しさから解放され、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

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フタを取って素晴らしい人生を送る

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁88『心の構造は三つでできており、一番奥に真我という黄金があり、その上に業という石ころやゴミが溜まり、その上から理性というフタをしている。

 

サラリーマンが、会社で上司にペコペコしているのがフタである。

 

しかし、会社帰りに焼き鳥屋で、愚痴や不満をぶちまけるのがゴミである。

 

これを普通、本音と呼んでいる。

 

しかし、そのもっと奥に本当の本音があるのだ。

 

なぜ愚痴や不満を言うかというと、もっと認められたい、愛されたいからである。

 

しかし、認めてくれない、愛してくれないから、恨んだり憎んだりするのである。

 

フタを取って、ゴミを出して、黄金を出して生きれば、本当に素晴らしい人生が送れるのだ。』とある。

 

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なぜ愚痴や不満を言うかというと、もっと認められたい、愛されたいからなのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、インプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われて、その基準によって自分や相手を裁き続けることになる。

 

エネルギーを消耗し、常に自分自身が満たされていないので、自分の外側へと欲望が生じて、その欲望が叶えられることで、自分自身が満たされると思い込んでしまう。

 

たとえ、欲望が叶えられても、束の間の喜びだけで、自分自身が満たされることは無いので、また新たな欲望を追い求めることになり、それは尽きないのだね。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄んでくる。エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、自然に自分の外側への欲望は消えて、目の前の現象に振り回されることが無くなる。

 

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自分自身を知って本当の使命を知る

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁86『従来の成功哲学は、人々に「夢や目標を持ちなさい」と教えてきた。

 

しかし、夢や目標を持つと、欲で目標を立ててしまうことになる。

 

欲で夢や目標を持つと、自分自身を見失う可能性があるのだ。

 

ちょうど、チューリップは、いくら「バラになりたい」と思っても、決してバラになることはできない。

 

社長に向いていない人が、社長になりたいという目標を持って、たとえそれが実現したとしても、社長になったことでストレスを抱え、苦しみ、早死にしてしまったら、何にもならないのである。

 

まずは、自分自身を知り、自分の本当の使命を知ることが出発なのである。』とある。

 

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夢や目標を持つと、欲で目標を立ててしまうい、欲で夢や目標を持つと、自分自身を見失う可能性があるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識がむいていると、インプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われて、その基準によって、自分や相手を裁き続くることになる。

 

エネルギーが消耗し、視野が狭くなって、物事の捉え方が偏ってしまう。

 

そのため、一瞬、一瞬の判断が悪く、上手くいかなくなってしまう。

 

悩みや苦しみの多い生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、目の前の現象に振り回されることなく、一瞬、一瞬の判断が適切となり、上手くいくようになっていく。

 

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