善悪を超えて自分を認める

悪いとダメで、良かったら自分を認めると言うのではなく、悪くても良くても自分を認めていく。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、インプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に基づき、自分や相手を裁き続けてしまうことを止めることができない。

 

そのため、エネルギーが消耗して、視野が狭く物事を偏って捉えてしまい、上手くいかなく、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

どんな自分であっても、自分を認めることができるようになるためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

いろいろな思いが湧き上がってきても、それらを俯瞰して流していけるようになる。

 

いろいろな思いに反応してしまうと、エネルギーを注ぐことになるので、いろいろな思いが膨らんで、エネルギーを消耗することになる。

 

エネルギーの消耗を無くすことで、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、本当に自分を受け入れることができるようになっていく。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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足るを知る

自分の外側への欲望が生じていて、頭で「足るを知る」を理解しても、「足るを知る」を本当に分かったことにはならない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶やインプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に基づき、自分や相手を裁き続けることを止めることができないので、エネルルギーを消耗し続けることになる。

 

そのため、心の奥底は、エネルギーの消耗で、満たされていたなく、その不足感を解消するために、自分の外側への欲望が生じることになる。

 

たとえ欲望が叶えられても、心の奥底は満たされないので、自分の外側への欲望は尽きなく、悩みや苦しみの多い生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、体を通して「足るを知る」ことが分かってくる。

 

心の奥底がエネルギーで満たされると、自分の外側への欲望は自然となくなり、視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになってくるのだね。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになってくる。

 

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目の前の景色を良くする

目の前の景色が良いと、常に気分良く暮らすことができる。

 

5感で認識にしているものは、自分の意識状態で変化することを頭ではなく、体を通して気づくと、目の前の景色が悪い場合は、自分の外側に原因があるのではなく、自分の意識が低いからなのだと分かってくる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、物質に意識が偏って、意識が低いままに留まってしまう。

 

そのため、視野が狭く物事を偏って捉えてしまい、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

エネルギーが低いと、重苦しいのだけれど、長年そのことになれてしまっていると、重苦しさが当たり前となって、悩みや苦しみの多いのが人生なんだよと捉えてしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてくる。

 

気分がとても軽くなって、今までの重苦しさに気づくことができる。

 

エネルギーが高まる動きをすることで、常に気分良く軽やかに生きることが、できるようになっていけるのだね。

 

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エゴと本当の自分との関係性

エゴは心の曇りとよく言われ、5感で認識したものにエゴが反応しているだけの状態で生きていると、エゴの人生となってしまう。

 

自分の気づきから、エゴと本当の自分との関係性についての段階を単純化してみると、

 

第一段階:エゴと一体となっていて、エゴに気づけない状態

 

第二段階:エゴには気づけていても、コントロールできない状態

 

第三段階:エゴはかなり威張っているが、エゴを何とかコントロールできる状態

 

第四段階:エゴは薄れていて、エゴを簡単にコントロールできる状態

 

第五段階:限定的にエゴを無くして、本当の自分を顕すことができる状態

 

となり、第五段階以降はこの世にはいないのでしょう。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(エゴ)に意識が向いていると、第一段階、第二段階の状態で、エゴをコントロールできないので、目の前の現象に振り回され続けて、悩みや苦しみの多い生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる(第三段階)。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる(第四段階)。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーに満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

心を空っぽにして、何の思いも欲望も持たず、ただただ待っていることで、本当の自分が顕れてくるのだね(第五段階)。

 

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5感の認識を超える

5感で認識したものを全く疑っていないとすれば、目の前の現象に振り回されてしまう。

 

原因と結果の法則からすれば、結果ばかりを気にしていることになる。

 

その結果の中で、結果を何とかしようとする発想から抜け出すことができない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感の刺激にただ反応するだけとなって、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうではなく、より進化した生き方をするには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄んでくる。

 

心が揺れ動くことでエネルギーが消耗することを、頭ではなく体を通して分かると、心を動かさないようにしたくなる。

 

自分の内側がエネルギーで満ちてきて、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えられるようになっていく。

 

一瞬、一瞬の判断が適切となって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

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自分を認めることができる

頭の考えで自分を認めようとしても、自分の心の奥底が満たされていないと、本当に認めることができない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)によって、自分や相手を裁き続けることが止められない。

 

「こうすべきだ」「ああすべきだ」というもので、自分で自分を縛って、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

目の前の現象は、絶えず変化していて予測できないものだから、自分の中で固定化された基準のようなもので対応すること自体が、良くないことが分かってくる。

 

自然に視野が広がり物事をより全体から捉えられるようになって、一瞬、一瞬の判断が適切となり、上手くいくようになっていく。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

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1日中どこに意識が向いているか

1日中どこに意識が向いているかで、エネルギーのレベルが変わってくる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、物質に偏ってしまって、エネルギーが低いままで留まり、視野が狭く物事を偏って捉えてしまう。

 

どうしても、悩みや苦しみの多い生き方になってしまう。

 

5感で認識したものではなく、5感の認識を超えたところに、意識を向けることで、エネルギーが高まってくる。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

心を強めることは、危険なことであることが分かってくる。

 

心を働かすことで、エネルギーの消耗が生じることを体を通して分かると、心を働かさないようにしたくなる。

 

そうすることで、エネルギーが高まり、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えられるようになって、一瞬、一瞬の判断が適切となり、上手くいくようになっていく。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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