フィルムとスクリーンの話

心の学校 月刊ニュースレター Vol.164に、「・・・フィルムとスクリーンの話があります。心というフィルムに汚いものがあったとしたら、目の前の現象というスクリーンには汚いものが映るという話です。私の心のフィルムが神になれば、私の目の前のみなさんはすべて神になるということです。・・・」とある。


佐藤学長の心のフィルムは「神」か・・・


これはフィルムが透明になって、真我そのものになっているのか・・・


神成瞑想で目を開いて「神」を見ている時、神成瞑想をやる度に、微妙に見え方が異なる。


私は、僅かではあるが、その違いを楽しみながら、神成瞑想を続けている。


数カ月前に、「神」を見ている時、心のフィルムが綺麗になっていると感じた。


だから、「神」を見るだけで、心のフィルムが綺麗なると思っているので、神成瞑想をやりたい気持ちが強くなっている。


実際に、心が澄み切って、透明度がどんどん増している感じがする。


以前なら飲んでいたビールも飲みたくなくなった。


ビールの美味しさやビールで酔う心地良さも分かっているが、それよりも気分が良いので、ビールを飲みたくなくなった。


淡々と神成瞑想を続けることで・・・


その結果として、心のフィルムが神になれば、凄いなと思っている。

 

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