心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁46に、『善き言葉には力がある。
「ありがとうございます」、「ごめんなさい」など口ぐせにしていると運が良くなると言われるが、これらの言葉は浄水器のようなものである。
心の中に、恨みやつらみや憎しみなどがあると、それが言葉となり行動となって現象が現れてくる。・・・
真我に目覚めると、悩みや苦しみが一瞬にして愛や感謝に変わる。・・・』とある。
私は昨年末に精神的な八方塞がりとなり、そこから本当の自分に目覚めることが、人生の目的そのものであることに気づけた。
その気づきによって、今年の1月から、毎日、「真我の実践」を唱え続けている。
この言葉の力は凄くて、自分の心がどんどん浄化され、始めてから2~3ヶ月後には、自分の心がクリアに澄み切った感覚になった。
本当に、「真我の実践」を唱えることは、素晴らしいなと思っている。
現在、始めてから7ヶ月が経過しているが、自分の心が静かで、自分の心が無い感覚になってきている。
最近、佐藤学長のCDを聴いていて、ラマナ・マハルシと言うインドの聖者について知った。
それで調べてみた。
この本に、『・・・幸福とは真我の本性そのものである。
幸福と真我は別のものではない。
世界のいかなる物事の中にも幸福はない。
無知ゆえに物事から幸福を得るものだと思っている。
心が外へ出ていくと、不幸を体験する。
心の願いが満たされた時、実は、心は自己本来の場所に戻っており、真我である幸福を楽しむのである。
同じように眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得たいと思っていたものが得られたり、嫌っていたものが消えたりした時は、心は内面に向かい、純粋な真我ー幸福を楽しむのである。
このように心は休むことなく動き回り、真我から彷徨い出ては、また戻ってくるということを繰り返している。・・・
実際には、世界とは、ただの想念にすぎない。
世界が消え去った時、つまり想念が存在しない時、心は幸福を体験する。
世界が現れると、不幸を味わうのである。・・・』とある。
なるほどと思った。
昨年までは、幸せとは、自分の中で描いた目標などを達成したら得られるものであると捉えていた。
何かを得たり、何かができたりした時に、幸せ、喜びがあると捉えていた。
しかし、今では、ここにある「想念が存在しない時、心は幸福を体験する。」のように捉えられるようになったことに気づいた。
自分の心が静かで、自分の心が無い感覚になってくることで、自分が満たされた感じになり、幸せに包まれた感覚になる。
驚くことに、この感覚がずっと継続する。
さらに、「真我の実践」を唱えることで、幸せ、喜びの感覚が増すんだから・・・
「あるがままで良いんだよ。」と言う、このあるがままだけど、本当に本当に本当に、「在る」だけで、幸せ、喜びなんだと感じている。
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