「在る」を味わう

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁50に、『「知る」「信じる」「みえる」といった、私たち人間の心を通して認識する段階を超越して、「無い」「在る」という世界がある。

 

般若心経では、色即是空、空即是色といって「色という物質的存在には固定的な実体が無い、しかし同時に無いということによって現象面の万物が成り立っている」といわれている。

 

つまり、全ては「無い」という真実がある。

 

しかし、では全ての実体が「無い」と頭で理解したところで、現実に私たちの目の前にはあらゆる現象があって、それが「無い」とは捉えにくい。

 

そこで、更にその奥に「在る」という捉え方がある。

 

これは、私たちの心が捉えている現象、その実体は確かに「無い」のであるが、それら全てが神の愛として顕れている、そこには全てが神の愛として「在る」のである。』とある。

 

頭では、こういうものだと捉えられるが・・・
 
原因の結果の法則、フィルムとスクリーンの話からすれば、スクリーンの実体は「無い」ことが理解できる。
 
現象面のスクリーンは、心のフィルムが、ただただ顕れているだけだから。
 
その「無い」の更にその奥の「在る」だけど、これがなかなか・・・
 
この本を読み始めてから、16年経っているけど、やっとこの「在る」が腑に落ちた感じがした。
 
それは、日々、瞑想と「真我の実践」を唱え続けることで、心が浄化され、どんどん澄み切っていくと、心が静まり、心が不在という感じになると、そこで「在る」を味わうことができるというもの。
 
「在る」を味わうことは、誰もに内在する究極の全体意識を味わうことになる。
 
真我を味わうということだね。
 
これは凄くて、幸せと喜びの感覚が持続し続ける。
 
素晴らしい境地としか言えない。
 
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神のメッセージ〈2〉