人を肉体や霊体で捉えない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁64~65に、『・・・自分の本体を肉体として捉えると、自分はお金持ちだから優越感を感じるとか、自分は病気だから自信がないというような捉え方をする。

 

あるいは自分を霊体として捉えると、こんなに尽くしているのにわかってくれないとか、人見知りの自分はだめだと烙印を押してしまったりする。

 

人を肉体や霊体で捉えるということは、自分のセンサーが基準になるから、自分の認識の枠内でしか物事を見ることができない。・・・

 

では、どうしたらよいかというと、自分を神体として捉えるのである。

 

生まれながらにして宇宙のすべてと調和し、自分の周りのものと、もともとひとつであるという完全完璧であるという視点で見るのである。・・・』とある。

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どうしても、自分を肉体としか捉えることができなくても、強引に自分は神体なんだと捉えようとすることを続ける。

 

真実は、自分の心の汚れが全く無くなったら、自分および自分の周りの全てが神としか見えなくなる前提なんだね。

 

自分の心の汚れが、自分を肉体と捉えさせている。

 

強引に自分は神体なんだと捉えることを続けていると、自分の心が浄化されてきて、本当に自分は神体なんだと思えてくる。

 

そうなることで、自分の目の前の現象が素晴らしく見えてくるのだね。

 

今日も「真我の実践」を唱え続ける。

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図解 神のメッセージ3