真我瞑想:「無い」→「在る」

心の学校 佐藤学長の「一瞬で宇宙とひとつになれる真我瞑想」の頁94~95に、『・・・この世のすべて、そして宇宙にあるすべてのものは、無いということです。

 

形あるものは無い。

 

私たちは形あるものを目にすることができます。

 

しかし、私たちがあると思っている形をともなった様々なものは、存在しないのです。

 

私たちを含めた全てのものは、本当は生まれることも死ぬこともありません。

 

物理学は、世界を形作る構成要素として、素粒子を発見してきました。

 

わずかな種類の素粒子の組み合わせとして、世界のあらゆる存在が説明できるということです。

 

この大宇宙の中で無限に多様な現れ方をしている様々なものも、素粒子という共通の材料で出来ているということになります。

 

人間も他の動物も植物も鉱物も素粒子です。

 

形ではなく、素材のほうに目を向けるとき、宇宙の基盤とでも呼ぶべきもの思い至ります。

 

そして、それが実体です。

 

その実体は生まれることも死ぬこともありません。

 

汚れることも清まることもありません。

 

形あるもの、分離したものは存在しません。・・・』とある。

 

私たちがあると思っている形をともなった様々なものは、存在しないとあるが、???になるね。

 

だって、目の前にあるよとなるから。

 

これはどういうことだろうか?

 

5感で認識したものは、脳がそのように処理した結果であって、真実は5感の認識を超えたところにあるということになる。

 

だから、5感で認識したものは夢幻で、そのようなものは「無い」となる。

 

そのようなものは「無い」のだけれど、素粒子のような宇宙の基盤と呼ぶべきもの、実体は「在る」となる。

 

「在る」のは、「愛の光」「神の生命」「真我」となる。

 

真我瞑想では、「無い」→「在る」を繰り返していくことで、宇宙の真理を悟るものなのだね。

 

今日も「真我の実践」を唱え続ける。

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