自然に執着を手放す

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁82に、『よく、執着を手放せと言うが、そう簡単に手放せるものではない。

 

強引に手放そうとすると、同時に大きな抵抗が生まれ、より執着してしまうのだ。

 

そうではなく、執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのである。

 

モノやお金にどれだけ執着したところで、自分の命には代えられない。

 

人が、命そのものでもある『真我』に目覚めるとき、その大いなる愛そのものの喜びの体験をし、「お金もモノもプライドも、全て真我の代替品を追い求めていたに過ぎなかった」ということに気付き、執着していたものを自然に手放せるのである。』とある。

 

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執着して握っているモノよりも、もっと価値のあるものを発見できたら、自然と握っていたものを手放せるのだね。

 

そのもっとも価値あるものが、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)になる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、その本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、本当の自分(真我、満月、まんまる)に気づきを深めていく。

 

自分は自分で生きているのではなく、真我のエネルギーで生かして頂いている存在なのなのだと思えてくる。

 

常に生命の本質を感じながら生きることで、自分が囚われていたものが外れていく。

 

囚われていたものは、自分で価値あるものだと思い込まされてしまっていた、もしくは価値があるのだと思い込んでしまっていたものになるが、それよりも遥かに価値があるものに気づいていくことで、囚われていたものが、外れていくのだね。

 

あの人はああだとか、この場合はこうしなければとか、裁く心がどんどん無くなっていく。

 

仮に、誰かを責めたり、自分を責めたりしていたら、「あっ、何かに囚われている。」と気づくことだね。

 

その気づきで、囚われていたものを、どんどん外していく。

 

何ものに囚われなくなっていくことで、良い悪いの感覚が薄れていき、ありのままの自分、さまざまな出来事を、素直に受け入れることができる自分になっていくね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2