愛とは囚われの無い世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁120に、『あなたは、「愛という言葉の反対語は何でしょう」と問われたら何と答えるだろうか?

 

普通は、「憎しみ」とか「恨み」と答えるはずである。

 

愛には、「執着の愛」と、「放つ愛」がある。

 

「執着の愛」とは、自分のものにしようという、エゴから来るものである。

 

「放つ愛」はまさに宇宙の愛、神の愛である。

 

「執着の愛」の反対語は「恨み、憎しみ」かもしれないが、「真我の愛、本当の愛」の反対語は「価値観」である。

 

「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の「価値観」同士が対立して争いが起きるのである。

 

本当の愛は、全ての価値観を包括した、囚われの無い世界である。』とある。

 

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「執着の愛」の反対語は「恨み、憎しみ」かもしれないが、「真我の愛、本当の愛」の反対語は「価値観」なのだね。

 

本当の愛とは、頭の中で固定化して捉えたものではない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、本当の愛を感じられない。

 

偽我の自分が囚われているものを外していく、何ものにも囚われない本当の自分(真我、満月、まんまる)になっていくことなのだね。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、満月、まんまる)に意識を向け続ける。

 

そうするプロセスで、本当の愛に気づいていく。

 

その気づきは、不完全から完全へのアプローチではなく、完全なんだとすることで、完全が現れてくことによるものだね。

 

それによって、本当の自分につながり、本当の愛を感じることができる。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2