完璧な神の愛として捉える

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁48『「知る」世界、「信じる」世界の次の段階として「みえる」世界がある。

 

「みえる」世界とは、私たちがそのことを知ろうが知るまいが、信じられようが信じられまいが、事実として「みえる」ということである。

 

その「みえる」には、「肉眼」、「心眼」、そして「真(神)眼」がある。

 

例えば、赤いシャツを着た人を見たとき、事実として赤いシャツを着ている、と肉眼で捉えられる。

 

知る必要も、信じる必要も無い。

 

また、その人の「心」がどのような状態かが摑めたら、そういった心の原因が然るべき結果を生むと結果が予想できるのは、心の眼、つまり「心眼」である。

 

そして、真我を開発していくと、そのものの本質、事実、真実がみえてくる。

 

これが「真(神)眼」である。「真眼」でみると、あらゆる人・モノ・出来事が、完璧な神の愛として捉えることができるようになってくるのである。』とある。

 

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真我を開発していくと、そのものの本質、事実、真実がみえてくるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識した肉体という個体をベースにして発想することから抜け出すことができない。

 

偏ったものの見方になってしまうのだけれど、それが当たり前だと思い込んでしまっている。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、目の前の現象に反応しなくなってくる自分になって、常に穏やかな自分でいることができるようになってくる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2