真我の代替品を追い求めている

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁114『この資本主義の社会に生きて行くうえで、「お金が欲しい」というのは、極く自然な思いである。

 

しかし、本当にあの「お金という紙切れ」が欲しいのだろうか?

 

そうではなく、お金によって手に入る自由が欲しいのである。

 

仮に今あなたが、何でも即手に入れることができる自由が与えられていたら、お金は必要無いだろう。

 

では、なぜ自由が欲しいのか?

 

それは、自由になって満たされたい、喜びたいのである。

 

ではなぜそれを求めるのかと言ったら、本来は、満たされ、喜び、愛そのものである「本当の自分(=真我)」を見失っているからなのだ。

 

だから、愛されたい、満たされたい、喜びたい、という欲求になり、最終的にお金という、真我の代替品を追い求めているのである。』とある。

 

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愛されたい、満たされたい、喜びたい、という欲求は、最終的にお金という、真我の代替品を追い求めているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分の内側が満たされない。

 

それは、心の中が想念や妄想で混乱した状態が、当たり前になっているので、それによってエネルギーが消耗している。

 

そのため、いつまでも不足感が続き、満たされない状態になっているため、自分の外側に、自分を満たすための代替品を追い求め続けることになってしまうのだね。

 

仮にある代替品を得られたとしても、それは代替品でしかないので、また新たな代替品を求め続けることになる。

 

自分の内側を満たすには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まってきて、心の中が澄み切ってくる。

 

そうなると、想念や妄想によるエネルギーの消耗が無くなり、自分の内側が満ちてきて、豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分であると、既に満ちているので、結果として無欲となって、物事の捉え方が素晴らしく変わっていき、人生が素晴らしくなるね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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