究極の自分から出てくる発想

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁38『悟りを求める人は、自分の抱えている業やカルマを消して、その奥の真我に辿りつこうと試みる場合が多い。

 

滝に打たれた地、何時間も座禅や瞑想をしたりして、表面にある自分を消し去って、究極の境地、真我を求める。

 

しかし、ほんとは違う。

 

真我が出てきた時に、業やカルマや、自分の浅い部分にあるものが消えるのである。

 

真我は理屈や頭では絶対に捉えることのできないものであるが、誰の中にも内在する究極の全体意識である。

 

知識で捉えて理解できるものではない。究極の自分(真我)から出てくる発想、言葉、行動が、過去の記憶や業やカルマを消していく作業となるのである。

 

私はまだまだ修行が足りないというのは、今までの学問の考え方である。

 

勉強をしたり、何かの教えを学ぶものではない。

 

今、この瞬間に、あなたの中から真我を出すことができるのである。』とある。

 

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私はまだまだ修行が足りないというのは、今までの学問の考え方であって、勉強をしたり、何かの教えを学ぶものではないのだね。

 

偽我の自分は自己限定している自分で、真我の自分は無限になる。

 

真我の自分になるという発想は、今、この瞬間、真我の自分ではなく偽我の自分を肯定していることになる。

 

この発想である限り、偽我の自分で在り続けることになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、発想が偽我の自分からスタートするので、どうしても偽我の自分のままで留まってしまう。

 

ただただ本当に素直に、真我の自分を受け入れて、真我なのだと認めることで、真我の自分が顕れてくるのだね。

 

真我の自分を認めることで、真我の自分で在りつけることができる。誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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図解 神のメッセージ3