総て天才として受け止める

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁60『人は、美しさの基準を自ら決めてしまうところがある。

 

例えば盆栽は、人が思う美しさにした人工的な美であって、本来の自然の美ではなく。

 

しかし、山から木々を見た時、それを自然の美として受け止めることはできる。

 

自然には、天が与えた美があるのだ。

 

同様に、人にも天から与えられた才能がある。

 

だから、人はみな天才なのだ。

 

しかし、人は天才と凡才を作ってしまう。

 

それは、自分の思う美に当てはめようとするからである。

 

天が与えた自然の美を美しいと受け止める心になれば、どんな成長の仕方をしようとも、総て天才として受け止めることができるのだ。』とある。

 

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天が与えた自然の美を美しいと受け止める心になれば、どんな成長の仕方をしようとも、総て天才として受け止めることができるのだね。

 

どうしたら、そのように受け止めることができるのは、発想を切り替えることになる。

 

自分と思い込んでいる個体から発想するのか、宇宙全体から発想するかになる。

 

自分は自分で生きているとの思いが強いと、自分にインプットされたもの、囚われてしまっているもので、物事を判断していることになる。

 

その判断基準が薄れていくことで、総て天才として受け止めることができるようになっていくのだね。

 

自分は自分で生きているとの思いが強いのであれば、自分の肉体をコントロールできていことになるが、1分間ある臓器の動きをストップさせてと言われてもできない。

 

そのような事実を積み上げていくと、どうやら、自分は自分で生きているとは言えなくなってくるぞと思えてくる。

 

自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

その目には見えないのだけれど、その大いなる力に意識を向け続ける。

 

そうすることで、自分を生かしていただいているエネルギーを感じられるようになってきて、そのエネルギーが高まる動きをすることが、宇宙の法則に沿った生き方であることに気づくことができる。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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