空間的な全体から捉えていく

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁28『宗教の協議は一般的に、悩んだり苦しんだりした人が、その波だった不完全な自分から、完全なる神を見ようとする。

 

しかし、不完全から完全を見ようとすると、完全なものまで不完全に捉えてしまうのだ。

 

山も低いところから見ると、部分の風景しか見えない。

 

高く上がるとそれだけ広く全体が見える。意識も、その一番高いところから見るのである。

 

一番高い意識とは、神意識、宇宙意識である。

 

その完全な意識で不完全と捉えていたものを見ると、不完全と捉えていたものの完全さが一瞬で見えるのである。

 

「この空間」というのは、あなたの家でもあるが、日本でもあるし、地球でもある、そして、宇宙でもある。

 

空間的な全体から捉えていくと全ての完全さが見えるのである。

 

真我は神意識である。神から全てを見たとき全てが完全な愛だと分かるのである。』とある。

 

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完全な意識で不完全と捉えていたものを見ると、不完全と捉えていたものの完全さが一瞬で見えるのだね。

 

知花俊彦著 世紀末を救う意識革命 頁161~162に『・・・あなたが一個だという利己的な個人だと思っているのならば、あなたは一個の力、一個人としての力しか存在出来ないのです。

 

利己主義としての自分が、皆からの独立した存在だと思っているなら、一個としての存在感を持っている限り、一個の小さな知恵と力しか持ち合わせていないのです。

 

あなたが無限の智恵と力を我がものとするためには、あなたが無限でなければならない。

 

無限の器をあなたが持つことによって、無限があなたに入るわけです。

 

このことは非常に大事なことです。

 

あなたが全体から分離して、一個という存在が、一個人の私という利己的なあなたがあるならば、あなたは永遠に苦悩の中に、苦しみの中に、分離の中に、迷いの内に、輪廻を繰り返す苦悩者として存在しなくてはならないのです。

 

しかし、その必要性は皆さんに本来はないのです。

 

あなたがこの一個という個人であっては困るのです。

 

その一個は全体と一体なんです。

 

この一個は全体でもあるわけです。

 

全体の中に存在する一個であり、同時にその一個は全体であるということを知らねばならないのです。

 

皆さん方は、神を迎え入れるのに、あなたが利己的意識だったら、どうして無限が入りますか・・・・・・。

 

あなたが無限と一体であるという無限意識にまで、意識を拡大し、あなたの器を広げることによって、無限を抱き込むことができるのです。・・・』とある。

 

目に見えるものだけを信じて、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、その意識は個体という枠の中に留まってしまう。

 

全体から分離する方向の動きは、宇宙の法則に反するものであり、悩みや苦しみを生じさせることで、その間違いを気づかせようとする。

 

意識は自由自在なのだから、個体という枠に囚われずに、無限と一体であるという無限意識にまで、意識を拡大することで、無限の智恵と力が手に入るのだね。

 

誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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