常に真我の光が光っている

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁32『現象面が映画のスクリーンで、フィルムが心だとしたら、ではその心とはいったい何なのだろうか。

 

このフィルムにあたる心とは、過去の撮影現場によってフィルムに刻み込まれたもの、つまり私たちの過去の体験経験によって心に刻み込まれた記憶のことである。

 

これを、業とかカルマという。

 

では、そのフィルムにあてている光は何か?

 

それが「真我」である。

 

私たちは、常に真我の光が光っているが、それが過去に刻まれた記憶というフィルムにあてられ、その影が現象面に映し出されているのである。

 

そして現象面に現れることによって、そこから正しく真我(神)からのメッセージを読みとることによって消えてなくなっていくのである。』とある。

 

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常に真我の光が光っているが、それが過去に刻まれた記憶というフィルムにあてられ、その影が現象面に映し出されているのだね。

 

世の中はノウハウ本が数多くあり溢れているけど、それらのノウハウでは上手くいかないから、溢れている。

 

こうした方がいいよ、ああした方がいいよとか、いろいろやり方を勧めたり、より良い方法がないかと求め続けてしまうのは、今に生きていないからなんだね。

 

本当に今に生きていることができれば、ノウハウは不要であり、いかにノウハウが機能しないものかも分かってくる。

 

今に生きることができれば、自然に最適なものに導かれる。

 

今に生きるとは、この瞬間の動作が目的そのもので動作することであり、何かの目的の手段と決してなっていないことになる。

 

今に生きていないと、今この瞬間の動作は何かの目的の手段として動作してしまっていることになる。

 

これがずーっと続いてしまうのだね。

 

今に生きるためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、内なる光の輝きが増してくる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2