物事は一瞬の休みも無く常に変化

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁60『「流行」とは「流れて行く」と書くが、これは人の心が流れて行くのである。昨日まではこうゆう洋服が流行っていた。

 

でも一ヶ月もたったら、誰も着ていなかったとか、スカートが短い、長いとか、みんなの心が求めているものが、やがて忘れていって消えていく。

 

人の心をきちんと見ていなければ、例えば、今これが流行っているからといってそこに投資したら、後で大損害を被ったりということもあるのである。

 

人の心を見ることを川でいうなら、上流を観ることである。

 

今ここに流れていることばかりみていたら、あっという間に下流に流れて行ってしまう、ということである。

 

これを仏教で言うなら「無常」という。

 

常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているということである。』とある。

 

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常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、頭にインプットされた固定化されたもので、目の前の物事を判断することになるが、それでは上手くいかない。

 

目の前の物事の変化のスピードに、有限な判断基準では、対応しきれないのだね。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、宇宙全体の一つの意識に繋がり、そのことによって、目の前の物事に対して、瞬間、瞬間の判断が、頭による考えではなく、直感的に湧き上がって来る。

 

それに沿って動くことで、全てが上手くいき、人生が素晴らしくなっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2