心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁80『人間はみな等しく真我の存在である。真我とは、宇宙意識、内在する神、全体意識、歓喜、あるいは愛と感謝の心、仏心などと表現できる。
真我は、人間のもっとも奥深い部分に内在するただひとつの実相であり、それより浅いブブに無限の意識次元が存在する。
あの人は意識が高い、この人は意識が低いという言い方をするが、意識が高くても低くても、その中間でも、人間は等しく真我なのである。
意識の高い人が優位で、低い人は劣るわけではない。
みな、過程なのだ。
今、どの意識次元で生きていても、それは一つの過程であり、変化していく可能性があるのである。
しかしながら、どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのである。』とある。
どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのだね。
葦原瑞穂(著)黎明 下巻の頁211『瞑想に関して初心者が陥りやすい間違いとして、例えば「私は生命で在る」と言うような、真理を表す言葉に一心集中しようとする試みが挙げられます。
これがもし「私は生命で在る」と言う、実相に基づく自覚に一心集中するのであれば何ら問題はないのですが、自我意識では、この言葉から実体のないひとつの観念を造り出すだけですから、一心集中という行為が、実相ではないものを見詰めているだけで、自我の迷いを強化する作業になってしまうことがあるわけです。
しかも観念は相対世界に属するものですから、対立するものとして「私は生命ではない」という観念もあり、一方を排除して他方に集中しようとすれば、そこには戦いが生じることになって、この葛藤を演じている自我の活動そのものが、普遍意識の展開を妨げてしまうわけです。』とある。
真我に意識を向けるための真我瞑想が、真我が観念となっていては、偽我に意識を向けるための偽我瞑想になってしまい、これでは偽我の意識を強化しているので、とても危険なのだね。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、浄化作用により肉体に流れる生命エネルギーを感じることができるようになってくる。
既に感じられるのであれば、その流れが強まっていく。
自分の内側の生命エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができ、常に豊かな自分で在り続けることができるね。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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