自分の知らない世界が無限にある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁118『よく「わかった」と言うが、本当にわかっているのだろうか?あなたが一度も聞いたことも、食べたことも無い料理があったとする。

 

その料理の原材料や調理過程など事細かに聞いて、どうですか?とメニューを出されたとき、「わかりました」と言った人は、一番分かっていない人である。

 

もう少し分かった人は「わかりませんよ、食べていませんから・・・」と言う人である。

 

そして本当にわかった、というのは、その料理を実際に口にして「私の味覚でわかりました」と言う人である。

 

これを真我の追求で言うと、真我はこうですよ、という概念を頭で理解したことがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのである。

 

そして、真我は宇宙でありむげんだから「ここまで分かった。

 

でも、更に自分の知らない世界がこの先に無限にあるんだ」という姿勢が大切である。』とある。

 

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真我の追求で言うと、真我はこうですよ、という概念を頭で理解したことがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのだね。

 

頭での理解は、対象を固定化して、自分にイプットされている基準(固定観念、先入観、思い込み、拘りなど)に照らし合わせて「わかった」となるから、無限なものを有限と捉えてしまうことになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分にイプットされている基準で、何とか理解しようとするから、いつまでも真我を追求することはできない。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、今までしがみ付いていた偽我の自分が薄れていく。

 

心の中の想念や妄想による混乱が静まってくると、心の中が澄み切ってくる。

 

心に振り回されていた自分から、心をコントロールできる自分に進化することで、軽やかに生きることができるようになってくる。

 

更に自分の知らない世界がこの先に無限にある姿勢を貫き、更に軽やかになっていき、透明になっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ〈2〉