闇と光は同時に存在できない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁16『因と縁が反応して、果となる。

 

ということは、因が変われば、果が変わるということである。

 

チューリップの種は、どこに植えようがチューリップにしか咲かない。

 

では、私たちの人生も既に決まっているのかというと、実は人の因は変えられる。

 

根本原因である記憶の塊は、その奥にある真我を引き出すことによって、自由に変えることができるのである。

 

真我とは、私たちの一番深いところに内在している、宇宙意識、神意識のことである。

 

これを引き出すと、塊の底から湧き上がる深い感謝や喜びを感じる。

 

そしてさらに、それより浅い部分にあった記憶である根本原因が変わる。

 

例えば、根本原因である心が両親を恨んでいたとしても、真我は究極の愛の心であるから、愛と感謝に変わってしまうのである。

 

感謝と恨みは、同居できない。闇と光は同時に存在できないのである。

 

真我は、原因も結果もない世界であるから、すべてを光に変えることができる。』とある。

 

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根本原因である記憶の塊は、その奥にある真我を引き出すことによって、自由に変えることができるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、目の前の現象に振り回され続ける。

 

それによって、自分を責めたり、相手を責めたりして、エネルギーが消耗して、悩みや苦しみの多い日々を送ることになる。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、自分を責めたり、相手を責めたりした時に、その自分を俯瞰して見つめることができるようになってくる。

 

「ああ責めてしまっている自分がいるね。」とか「こんなことに過剰に反応してしまっている自分がいるね。」とかで、自分自身を客観視できるようになってくると、より自分自身を深く知っていくことができる。

 

自分の進化を知ることが喜びとなると、好循環のサイクルが生まれたことになる。

 

「以前なら自分を責めていたけど、責めなくなっているぞ。」とか「以前なら嫌な気持ちが湧き上がってきたのに、そうならないぞ。」とかの気づきが、本当の自分(真我)に意識を向け続ける後押しとなるね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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図解 神のメッセージ3