時間的な全体、死も生も捉えた全体

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁72『あなたの人生そのものも、全体と個の融合である。

 

人生の中に、仕事があり、家庭生活があり、地域社会の生活がある。

 

ここで、仕事は仕事、家庭は家庭と切り離して考えてしまうと不調和が発生する。

 

仕事だけに生を出してお金が溜まったとしても、家庭での人間関係が悪かったり、健康を害してしまったりしたら、それで人生は満足であろうか。

 

死ぬときは、お金も土地も財産も家庭も、すべてを置いていかなければならない。

 

であるならば、死ぬときに、自分がどのような人生であるのが良かったのかという、死から生を見てそれに沿うことが幸せに通ずる道なのである。

 

生まれてから死ぬまでのあなたの人生を全体としたときに、仕事はどのようにしたらよいか、家族とはどうしたらよいか、お客様とはどのように接したらよいかがおのずと見えてくるのである。

 

あなたの人生という全体と、人生の側面である側を融合していくのである。』とある。

 

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人生の中に、仕事があり、家庭生活があり、地域社会の生活があるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、仕事の中に人生を位置付けて、仕事が上手くいかないと人生は終わりだと勘違いしてしまう。

 

お金や仕事を中心にしてか発想できなくなってしまう。

 

その結果として、極度に物質に偏った生き方になり、悩みや苦しみの多い人生となってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

本当の自分を「こういうものだ。」「ああいうものだ。」などの固定した観念としてしまっていると、真我に意識を向けているつもりが、偽我に意識を向けていることになってしまう。

 

瞑想であれば、真我瞑想が偽我瞑想になってしまう。

 

偽我に意識を向けていると、バイブレーションが下がり、気分が重くなる。

 

真我に識を向けていると、バイブレーションが上がり、気分が軽くなる。

 

だから、気分が重くなったと感じたら、意識が偽我に向いて、物質に偏っていると気づいて、真我に意識を向け直すことだね。

 

この時に、自分を責めると益々バイブレーションが下がるので、淡々と意識を切り替える。

 

何回も何回も、意識を切り替えていくことで、常に真我に意識が向いていくようにしていく。

 

気分が軽くなっていくと、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。 

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