誰ともぶつからない無敵の世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁92『人はなぜ苦しむのか、なぜ悲しむのか、なぜ辛いのか、なぜ病気になるのか・・・。

 

それは、障害があるからだ。自分の考えと相手の考えが違うから、人とぶつかるのだ。

 

生きてきた環境、家柄、宗教や思想、人種や肌の色がみな違う。

 

そういった人との違いを見ていくと、ぶつかり合いはなくならない。

 

しかし、みな命としては一つだと、みな仲間だと悟った時、ぶつかり合いはなくなるのだ。

 

どんな環境にいようが、素晴らしい人生を切り開いていけるのだ。

 

ちょうど、一切の障害物がない大草原を、ブレーキを踏まず、アクセルだけでクルマを走らせるようなものだ。

 

みな一つ、みな愛だと悟った時、誰ともぶつからない無敵の世界になるのだ。』とある。

 

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みな命としては一つだと、みな仲間だと悟った時、ぶつかり合いはなくなるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識したものだけに囚われてしまうっているので、肉体という個体を強く意識することになり、分離感が強まる。

 

頭では「みな命として一つだ。」と理解したとしても、心の底からは、そうとは思えない。

 

頭による理解ではなく、自分の体を通して、「みな命として一つだ。」ということに気づいていくには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向ける続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてくる。

 

自分は自分で生きているのではなく、このエネルギーで宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

目には見えないエネルギーが、目に見える総てを顕しているのだと思えてくると、「みな命として一つだ。」ということが、本当にそうなのだと思えてくる。

 

その結果として、視野が狭く偏った物事の捉え方が変わり、より全体から物事を捉えることができるようになっていく。

 

自然に重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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