ヨグマタ相川圭子著 宇宙に結ぶ「愛」と「叡智」 頁155に、『サマディに達した人は、死ぬ時を選び、気づきながら、気高く死んでいくことができます。
それは単にこの世からあの世へのシフトです。
肉体の体を脱ぎ捨てて、「アストラル」という、心が住む霊体、「コーザル」という、魂が住む、さらに微細な霊体に移行します。
人が死を意識した時、「いかに生きるか」は、「いかに死ぬか」ということと同じであることがわかります。
死は恐れるものではなく、祝福するものです。
この世から肉体を捨てて、アストラルの体になって自由になります。
そう理解した時、何をも恐れなくなります。』とある。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまう。
視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。
やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。
豊かな自分で在り続けることで、目の前の現象に振り回されることなく、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えられるようになっていくのだね。
悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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