ヨグマタ 相川圭子 著 ヒマラヤ大聖者 愛の般若心経 頁322に、『大乗仏教は、生きていたブッダの瞑想体験の「無我」から派生したものと思われます。
大乗のブッダにおける究極の体験を、ナッシングネスといったのです。
究極の存在のことをプルシャといいますが、それはエネルギーを与える存在です。
物質の小さな元をプラクリティといいます。プラクリティは動かない死んだ存在です。
それにプルシャが干渉して目に見える形の物質が生まれていくのです。
形あるものがなくなるのは、プラクリティが目に見えない最小の物質の元になるからです。
つまりエンプティネスになる。
それは、スンニャのことでありゼロ(零)のことです。
そのエンプティネスをさらに深く深く入って、それを超えたところに、ナッシングネスがあります。
それが究極の存在、ブラフマンなのです。』とある。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。
やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。
エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。
豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。
悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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