ヨグマタ 相川圭子 著 瞑想の力 頁100〜101に、『執着を落とすには、「取り込む」ことと反対の行為をします。
そうすることで、エネルギーが反対に働き、その執着がとれていくのです。
あれが欲しい、これが欲しいといってはいろいろ取り込んできたことを誰かとシェアする、あるいは捧げるのです。昔から、信仰深い人々は神に供物や供養を捧げてきました。
そして自ら感謝や愛、布施を捧げ執着を手放してきたのです。
さらに、欲望の対象となるものは消耗すゆものであり、自分にエネルギーを与えるものではないのだと、真の姿を理解することが一番です。
「これがわかった」「これもわかった」。本当の意味が何なのかすべてわかれば、思い入れがなくなっていきます。
そらは欲望を満たすこととイコールです。』とある。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。
やり続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。
悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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