この世の全ての元は一つの光源

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁80『神が人間を創造した、という言葉がある。

 

しかし、この言葉は「作ったものと作られたもの」という二元論であり、これが分離意識の始まりになり、全てが一つ、という神を表現した正確な言葉ではない。

 

では、どう表したらよいのか?

 

ちょうど、太陽の光は無色透明の中に全ての色を含んでいて、その光がプリズムを通すと、屈折によって赤や青や黄色、紫色と、あらゆる色に分光する。

 

これと同じように、神が、人間として現れたり、犬として、猿として、花として、木として、水として、空気として、地球として、月として・・・と、あらゆるものに顕れたものなのである。

 

この世の全てのものは、神によって作られたのではなく、「全てが神の顕れ」であって、元は一つの光源なのである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170804195404j:plain

 

神が人間を創造したとの表現は正確でなく、人間を含む全てが神の顕れなのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、肉体という個体をベースとした個体意識になるので、分離意識が強まるのだね。

 

バランスを崩した生き方になるので、全体としてバランスを取るために、悩みや苦しみの多い人生となる。

 

自ら悩みや苦しみを味わいたいからとも言える。

 

そのようなものを味わいたくなければ、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、分離意識が薄れてきて、自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

「瞑想」で今に生きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁78『よく、「今を生きなさい」とか、「ここに集中しなさい」といった人生訓があったりする。

 

ではいったい、今と言うのはいつのことか?

 

「いま」と言っている間に今は過ぎ去っていく。

 

私たちが過去と言っているのは、私たちが思う過去であって本当は実在しない。

 

未来も、今の自分が思う未来であって実在しない。

 

本当の今とは真我のことを言う。

 

新宿に住んでいる人が「ここ」と言うのも、新宿もここだし、東京もここだし、日本もここだし、地球も、宇宙もここなのである。

 

ここはいったい何処なのだろうか。

 

本当のここは真我である。

 

真我は宇宙そのものであり、宇宙は無限であって、全体として一つの世界のことである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170803193334j:plain

 

本当の今とは真我のことを言うのだね。

 

今に生きることを実践するには、瞑想を継続することで、自己を進化させることだと捉えている。

 

瞑想を継続することで、

 

① 心の動きが分からない

 

② 心の動きが分かる

 

③ 心の中の混乱に気づく

 

④ 目の前の現象に心が反応していることに気づく

 

⑤ 心の中の混乱が静まってくる

 

⑥ 心の中が澄み切ってくる

 

⑦ 心を使わないことでエネルギーが満ちてくることに気づく

 

のように、心に振り回されていた状態から、心をコントロールできるようになってくる。

 

今に生きることは、心を使わず心を動かさないことになる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

完璧な配置換えが自動的に起きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁76『ある組織や場には、中心がある。

 

その中心のエネルギーには、常に遠心力と求心力が同時に働いている。

 

中心のエネルギーが強くなると、同じエネルギーのものをより引き寄せる求心力が大きく働き、より同じエネルギーの人やモノが吸い寄せられてくる。

 

また同時に、違うエネルギーのものを引き離す遠心力が更に強く働き、エネルギーの違う人やモノが引き離されるようになり、然るべきエネルギーへ引き寄せられてくる。

 

組織を変化させるには、中心がより強いエネルギーを発するように変化してくことである。

 

そうすれば、考えたり、意図せずとも、完璧な配置換えが自動的に起きるのである。

 

まさに「神のリストラ」がおこなわれるのである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170802191432j:plain

 

中心がより強いエネルギーを発するように変化してくことで、考えたり、意図せずとも、完璧な配置換えが自動的に起きるのだね。

 

肉体においても同様なことが言える。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中の想念や妄想が混乱していて、エネルギーが消耗してしまっている。

 

肉体における中心のエネルギーが低下していると、肉体に歪み生じて、それが混乱したエネルギーとなり、悩みや苦しみにつながり、病気になったりするのだね。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄み切ってくると、肉体における中心のエネルギーが高まってくる。

 

その結果として、肉体の歪みが解消されて、元に戻るのだね。

 

混乱したエネルギーが正常になり、悩みや苦しみにつながらなることで、軽やかに生きることができる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

 

 

 

黄金を引き寄せるようなエネルギー

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁74『人の意識次元が上昇すると、その意識の人から発するエネルギーが変化する。

 

例えば磁石を例にすると、意識が変わると磁石というエネルギーが変わる。

 

磁石が変わると、引き寄せるものが変わるのである。

 

普通、磁石は鉄を引き寄せるが、仮にゴミを引き寄せる磁石というものがあったとして、そのエネルギーに変化したら、鉄が離れてゴミが付く。

 

黄金を引き寄せる磁石になったら黄金を引き寄せる。意識も、同じエネルギーのものを引き寄せる。

 

意識が変わると、出逢いや現象が自ずと変わってくるのである。

 

あなたの意識が真我に近づき、エネルギーが変わると、まさに黄金を引き寄せるようなエネルギーが黄金を引き寄せ、素晴らしい人生が現れてくるのである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170801195511j:plain

 

人の意識次元が上昇すると、その意識の人から発するエネルギーが変化するのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中の想念や妄想が混乱しているので、そのような混乱した粗い波動のエネルギーを発していることになる。

 

その結果として、自分を混乱させる嫌なものを引き寄せることになる。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄み切ってくると、自分から発するエネルギーが、精妙な波動によるものになってくるのだね。

 

それが、素晴らしいものを引き寄せ、人生が豊かなものとなる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

見えない意識は全てが一つ

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁72『私とあなたは、あかの他人。

 

別の人。

 

そう捉えるのが普通である。

 

しかしそれは、肉眼で見える世界が、実際に肉体が分離して見えるからなのだ。

 

しかし、目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのである。

 

私たちの考えや観念、また個人の体験経験による記憶は個々別々の意識だが、その奥の方では、まず家族など、同じ地域や国単位、グループや団体として繋がっている共通した意識もある。

 

そして、真我は全てと繋がっている一つの意識である。

 

特に身内や仲間では意識が浅いところで繋がっていて、例えばAさんの真我の体感の影響がBさん行ったりする場合もある。

 

物理的に一見、因果関係の無いと思われる二つの出来事が、共通の意味をもって起きる現象、「シンクロニシティ現象」も、見えない意識の仕組みを理解すると必然的に起きていることが分かるのである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170731192524j:plain

 

目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、目の前の現象に対して、良かったとか、悪かったとかで、その現象に振り回される生き方になってしまう。

 

それは不調和な生き方なので、悩みや苦しみの多い人生となる。

 

そんな生き方は嫌だと言っても、そこから抜け出せないのは、偽我の自分で偽我の自分を変えようとするからだね。

 

そのように変えようとする発想そのものが、無くならないと、調和な生き方にはならない。

 

良い、悪いの2元論の発想が、宇宙の法則からズレているのだね。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、宇宙の真理は愛1元の愛そのものなのだと思えてくる。

 

そうなってくると、目の前の現象は、全てが愛の現れだと捉えることができる。

 

愛1元の世界では、2元論の発想ができないので、自分や相手を裁くことは、絶対にできないのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

固定化された倍率だけの世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁70『眼で人間を見るとき、普通は私たちの普段知っている肉体の人間が見える。

 

しかし、もし何万倍率も見える顕微鏡のような目を持っていたら、普段の肉体としての人間の姿には見えないだろう。

 

仮に細胞まで見える倍率の目があったら、人間でなく細胞として見える。

 

原子が見える目があったら、原子が見える。

 

しかし、どの倍率で見ても、その人間の事実であることに変わりは無い。

 

つまり私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのである。

 

事実は無限にあるのだ。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170730202645j:plain

 

私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのだね。

 

5感による認識が、絶対的なものであるという思い込みが、物事を偏って捉えさせられている。

 

さらには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、肉体という個体をベースとした発想に限定されてしまう。

 

そのため、自分や周りの人との比較をし続けることで、とても辛い生き方となってしまう。

 

重苦しい生き方でなく、軽やかに生きるには、偽我の自分に意識を向けるのでなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

偽我の自分で、本当の自分(真我)になろとしても、それは益々偽我の自分に意識が向いてしまうことになり、偽我の自分が強まってしまう。

 

本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、本当の自分(真我)が現れると、自然に偽我の自分は消えていく。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

自由な心が天国を展開させてくる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁68『私たちの人生は、全て心が主体となって展開していくのである。

 

地獄を味わうの人は、外に地獄があるのではなく、地獄を反映させる原因となる心を持っているのである。

 

また、天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのである。

 

これを仏教では涅槃の境地ともいう。

 

そういった心という内界の原因が現象という外界に結果として現れているのが、人生なのである。

 

元々自分にあったものが出てきているのである。

 

涅槃とは、まさに真我に目覚めることである。

 

真我に目覚めることによって、その自由な心が天国を展開させてくるのである。』とある。

 

f:id:tamago0141:20170729153724j:plain

 

天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのだね。

 

地獄を味わうか、天国を味わうかは、その人の捉え方次第になる。

 

全て心が主体となって展開していくのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識に向いていると、肉体という個体に囚われた世界を味わうことになる。

 

味わいたいから、味わっているとも言える。

 

もう、その世界は十分に味わったから、他の世界を味わいたいのなら、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が無くなり、澄み切ってくると、今までとは異なった世界を味わうことができる。

 

どのような世界を味わうのかは、自分自身で決めることができるのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村へ


人気ブログランキングへ

いつもありがとうございます。(^^)
応援クリックよろしくお願いいたします。
Ctrlキーを押しながら2つクリックしてね。

 

神のメッセージ 2

YSブログ研究会