人生には二つの道がある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁12に、『人生の道には、二つの道がある。一つはエゴの道、もう一つは真我の道である。

 

エゴの道とは、自我を出し、自我の満足のため、自分を守るために動く道である。エゴの道を歩むと、人間関係に苦しみ、病気になり、不調和を生む。

 

エゴの道を突き進むと、その先は崖である。真我の道とは、自らが愛そのものになり、愛で生きる道である。

 

真我の道を歩むと、人間関係も仕事もスムーズに進み、健康になり、調和を生む。

 

真我の道は、黄金の道である。

 

人は、エゴの道か真我の道のいずれかを歩んでいるのである。

 

あるいは、どちらも歩まず、分岐点で迷って立ち往生しているのである。

 

両方の道を同時に歩むことはできないのだ。』とある。

 

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エゴの道とは、自我を出し、自我の満足のため、自分を守るために動く道なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いて、そこからの発想ではエゴの道を生きることになる。

 

自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)の囚われが強くなり、どんどん不調和になっていく。

 

その結果として、悩みや苦しみが生じ、病気になったりするのだね。

 

真我の道で生きるには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向けることになる。

 

そうし続けることで、自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

自分の内側から、心の奥底から、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かであった自分に気づくことができる。

 

その豊かな自分からの発想で生きることが、真我の道で生きることなのだね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ

自分の価値観が消える

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁126に、『真理の受け止め方の五つ目は、真理を引き出したときに、自分の価値観が消えるパターンである。

 

これが、真理の正しい受け止め方である。

 

真理は、みな等しく真我であるということである。

 

真我は、究極の愛、喜び、宇宙の心である。

 

そこには矛盾などないのであるが、私たちの業やカルマがフィルターになって物事が歪んで見えるのである。

 

学びも真理ではない。

 

宇宙をいくら学んでも、それは知識の宇宙であって、真の宇宙ではない。

 

脳で考えても真理は絶対にわからないのである。

 

しかし、真我が出てきたときに価値観は消える。

 

真我は脳で考えて出せるものではない。

 

真我の実践をしたときに、自分の考えや価値観が消えるのである。

 

そうなったときに、初めて、真理で生きていると言えるのである。』とある。

 

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真我には矛盾などないのであるが、私たちの業やカルマがフィルターになって物事が歪んで見えるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、そのフィルターが強固なもになってしまう。

 

だから、1日、24時間に、どれだけ本当の自分(真我)に意識を向け続けることができるかが重要だね。

 

具体的には、「真我の実践」を唱えると良いね。

 

唱え方は、宇宙に唱えさせていただいていると言う感じになる。

 

実際に唱え続けることで、唱え方が進化していくね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

真理はノウハウや手段でない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁124に、『真理の受け止め方の四つ目は、真理という知識の中に自分の価値観を入れてしまうパターンである。


真理を言葉や知識として学んで、自分なりの真理という価値観を基調とした上で、他の良いと思われる知識や感が型を、都合よく混在していくのである。


真理は、知識の入力、いわゆるインプットではなく、自身の中からのアウトプットであるから、真理を頭で学ぶことはできない。


真理は、ノウハウでも、何かの手段でもない。


にもかかわらず、真理を一つの考え方として捉え、他にもよさそうなものがあれば、それも取り入れていくのである。


一見、真理を語っているように見えて、実は、頭の世界だけの話なのである。


学びの世界と同様、知識の中にない出来事に遭遇した場合には、対応ができない。』とある。


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真理は、ノウハウでも、何かの手段でもないのだね。


20年ぐらい、私は手段として捉えていたので、思い込んでしまっていると、なかなかその思い込みは外れないね。


手段として捉えていることは、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)を、なんとかしようとする、偽我の実践なのだね。


偽我の自分に意識が向いていて、頭の考えを超えることができない。


その結果として、自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に基づく発想をし続けることになる。


その基準で自分や相手を裁くと言う、とてもエネルギーを消耗する生き方になってしまう。


では、どうしたら良いのだろうか?


偽我の自分に意識を向けるのではなく、真我の自分に意識を向け続けることだね。


真我とは、誰もに内在する究極の全体意識になり、そこに意識を向け続けることで、本当の自分に気づいていく。


本当の自分は、愛そのもので、そのエネルギーで生かされいることを気づいていく。


その本当の自分からの発想で生きることで、人生が素晴らしくなっていくね。


今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3


知識の真理は真理でない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁122に、『真理の受け止め方の三つ目は、自分の知識の中に真理という知識を入れてしまうパターンである。

 

真理という知識が増えたのである。

 

自分の考えや知識のバリエーションの中に、真理を、ひとつの考え方として置いてしまうのだ。

 

「人間はみな真我である」、「真我とは究極の愛そのものである」ということを、自分の知識のひとつとして入れてしまう、いわゆる、学びとしてしまうのである。

 

人の脳で捉えた、知識としての「究極の愛」であるから、当然、これは真理とは違うものである。

 

100人いたら、100人の「究極の愛」があることになる。

 

真理は、誰にとっても、普遍のものであるから、知識の真理は真理ではない。』とある。

 

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人の脳で捉えた、知識としての「究極の愛」は、真理とは違うものなのだね。

 

人の脳で捉えたと言うことは、無限なものを固定化して、その人が理解した真我になってしまう。

 

その理解によって、相手に対して、「あなたの真我は違う。」とか言ってしまい、人を裁いたりすることになる。

 

真我は、誰もに内在する究極の全体意識であり、本当の自分だね。

 

自分は自分で生きている思いが強いと、宇宙に生かされていることに気づくことができない。

 

その真我のエネルギーで生かされていることを感じることができない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、真我の自分に意識を向け続けることで、その真我のエネルギーで生かされていることを感じることができるようになるね。

 

その結果として、自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かされている存在なのだと、自然に思えてくる。

 

頭ではなく、そのからの発想で生きることで、意識次元が上がり、物事の捉え方が変わってくる。

 

人生が素晴らしくなっていくね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

万人に平等の宇宙の法則

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁120に、『真理の受け止め方の二つ目は、真理という知識を、自分の価値観と並列に頭に置くパターンである。

 

価値観は価値観、真理は真理という知識で分離をするパターンである。

 

真我であるという真理は、頭で理解できるものではなく、また知識でもない。

 

万人に平等の宇宙の法則である。

 

宇宙の法則の上に生かされている私たちに、脳があり、その中に価値観や考えがある。

 

もともと、比較できるレベルにないものなのである。

 

しかしながら、人間は、まず頭で受け入れてしまうので、真理も一つの知識、考え方として捉えてしまう。

 

真理を一つの価値観として、そのような価値観もあるのだと、自分の価値観と並べて置いてしまうのである。』とある。

 

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人間は、まず頭で受け入れてしまうので、真理も一つの知識、考え方として捉えてしまうのだね。

 

真我は頭で理解できるものではなく、無限なものなのに、それを固定化して頭にインプットして理解したつもりになってしまう。

 

その知識がいくらあっても、物事の捉え方が変わることはなく、意識次元は上がらない。

 

真我は実践を通して、感じていくことで気づきが生じて、その結果として、真我の確信が深まっていくものだね。

 

自分は自分で生きていたとの思いが薄れ、自分は宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

そこからの発想が、宇宙の法則に沿って生きることにつながる。

 

宇宙の法則に沿って生きることで、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

心の奥底から豊かさを感じながら生きることで、人生は素晴らしくなるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

頭ではわからない世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁118に、『私たちは間違いなく宇宙意識、真我の存在であるというのが真理である。

 

私たちは物事をまず頭で受け止めるが、この真理の受け止め方にはいくつかパターンがある。

 

一つ目は、聞いても撥ね返してしまうというパターンである。

 

これは、自分の中にある考え以外、受け付けないという反応である。自分の頭の中にあるのは、今まで見たり聞いたりしてきた価値観や、学んできた知識である。

 

そこに、真理を伝えても、受け入れられないのである。

 

真我であるという真理は、頭ではわからない世界である。

 

慣れ親しんでいる私たちの脳で考える世界では、一見、理解できないと思われる側面もある。

 

脳で「知る」という認識の世界では、知らないものは受け入れられないという性質がある。

 

脳で考えた、脳で覚えた世界が重要なので、異質なものは拒んでしまうのである。』とある。

 

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真理の受け止め方には、自分の中にある考え以外、受け付けないという反応があるのだね。

 

自分は自分で生きていると言う思いが強く、偽我の自分に意識が向いている。

 

自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に囚われてしまっている。

 

人を創造した存在を、人の頭で理解することはできないね。

 

その頭では理解することができない世界があるという事を理解することで、意識は変化してくる。

 

生命の本質に意識を向けることで気づきが生じて、自分は自分で生きていると言う思いが薄れ、自分は宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

そこからの発想で生きることで、物事の捉え方が変わってくる。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

 

認めたものが現れる心の仕組み

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁116に、『物事の捉え方は、その人の捉え方である。

 

この人は良い人、この人は悪い人と捉えているのは、その個人の捉え方に過ぎない。

 

善い悪いは、その人の心が反映するものであるから、固定的な実態はないのだ。

 

認めたものが現れるという、心の仕組みがあるだけなのである。

 

この人は良い人と認めると、その人は良い人になる。

 

この人は悪い人と捉えたら、その人は悪い人になるのである。

 

良い人と認めたら、その人の良い部分をどんどん発見することになる。

 

その発見が、更に、その人は良い人だという確信につながる。

 

このように、すべては、自分が認めたものが現れる世界なのだ。

 

心は非常に便利なものなのである。』とある。

 

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善い悪いは、その人の心が反映するものであるから、固定的な実態はないのだね。

 

固定的な実態はないのだけれど、善い悪いに囚われるのは、心に振り回されているからだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分の中にある基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に強く囚われてしまって、そこからでの発想しかできなくなってしまう。

 

心の中が想念や妄想で一杯になり、それに振り回されることで、エネルギーを消耗する生き方になってしまう。

 

エネルギーが下がると、どうしてもネガティブな思考にはまってしまうね。

 

その結果として、目の前には、そのネガティブなものが現れるのだね。

 

では、どうしたら良いのだろうか?

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、本当の自分(真我)に意識を向けることだね。

 

本当の自分(真我)とは、誰もに内在する究極の全体意識で、愛そのもののエネルギーになる。

 

生きているのだから、誰もが真我のエネルギーで生かされているのだから、そこに意識を向け続け、それを感じる。

 

なかなか感じることができないのは、頭に偏った生き方が体に染み付いてしまっているからだね。

 

それでも、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、それを感じることができるようになり、宇宙に生かされていると思えるようになるね。

 

そのエネルギーが高まる生き方をすることで、人生は喜びに溢れたものになるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

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