宇宙の真理はあまりにも奥深い

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁174~175に、『宇宙の真理はあまりにも奥深く、普通は目に見えず、感じることができません。

 

無知のまま生きる姿が普通の人間の姿なのです。

 

すべての生類は生命や宇宙の源からの恩恵である祝福で生かされているという、尊い真理です。』とある。

 

自分が自分だと思い込んでしまってる自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでるく。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

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黎明 下巻 頁217 『・・・焦りや、自分の意識状態に対する否定的な想念は自我に属するもの・・・雑念を払いのけようとすれば、その人の心は雑念に対する否定的な想念で支配される・・・雑念を「無視する」・・・「無視する」という態度は、どんな雑念が起こってきてもそれを気にすることなく、ただ眺めていれば良いという意味で、それについてあれこれ考えたり、判断したり、抵抗したりせずに放って置くと、元々自我の心が造り出した実体のないものですから、エネルギーの供給がなくなると雑念は自然に消えて逝きます。

 

はかりしれない不思議な世界がある

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁172~173に、『宇宙には、最先端の科学を超えた、はかりしれない不思議な世界があるのです。』とある。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。

 

悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

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黎明 下巻 頁217 『・・・焦りや、自分の意識状態に対する否定的な想念は自我に属するもの・・・雑念を払いのけようとすれば、その人の心は雑念に対する否定的な想念で支配される・・・雑念を「無視する」・・・「無視する」という態度は、どんな雑念が起こってきてもそれを気にすることなく、ただ眺めていれば良いという意味で、それについてあれこれ考えたり、判断したり、抵抗したりせずに放って置くと、元々自我の心が造り出した実体のないものですから、エネルギーの供給がなくなると雑念は自然に消えて逝きます。

 

すべてを知って悟ることができる

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁170~171に、『この心、身体、魂は、宇宙のひとつです。その中の小さな存在、細胞も宇宙なのです。

 

人間が神の力で創造され、存在から生まれ、生き、死んでいく。そのサイクルは神秘の謎に包まれたままです。

 

大きすぎる宇宙の源に達することはできませんが、小宇宙の私たちは内なる実践の旅、サマディへの旅によって、すべてを知って悟ることができるのです。』とある。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。

 

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浄化する力を与えてくれる

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁168〜169に、『問題が現れるのは宇宙がバランスをとるためにあなたに浄化する力を与えてくれているのです。』とある。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。

 

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本当のメッセージがやって来る

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁166〜167に、『エゴを捨て、心を自由にしすべてをゆだねると、本当のメッセージがやって来ます。』とある。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

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宇宙の愛の存在

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁164〜165に、『私たちは、広大な宇宙からみれば、砂粒ひとつほどの存在です。

 

どんなに小さくても宇宙の愛の存在なのです。』とある。

 

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そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

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相手の純粋な存在を信じて尊敬する

ヨグマタ 相川圭子 著 幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108のことば 頁162~163に、『相手の魂を信じなさい。

 

相手の魂を愛しなさい。

 

エゴが反応して起きた感情は、学びをいただいているということ。

 

相手に感謝し、その奥にある純粋な存在を信じて尊敬しましょう。』とある。

 

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