永遠不変のビジネスの真理

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁58『バブルとは泡のことであるが、バブルがはじけたと言うのは何なのか。

 

商売、仕事で言うなら、お客様に喜んでいただいて利益を上げていくのはバブルではない。

 

これははじけて消えない、永遠不変なのである。ビジネスの真理である。

 

しかし、土地の値上がりや株の値上がりなどで儲け、人を喜ばせないで、自分を高めようとしないで、楽をして儲けようとする。

 

それをバブルと言うのである。

 

自分を高めようとせず、またお客様を喜ばせようともせずに、利益を得ていったものは、まさに泡がはじけるように幻と化してゆくのである。』とある。

 

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商売、仕事で言うなら、お客様に喜んでいただいて利益を上げていくのはバブルではないのだね。

 

お客様に喜んでいただくには、まず自分が喜び一杯でなければならない。自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、エネルギーを消耗していて、エネルギーの不足感から「欲しい、欲しい、欲しい」の波動になって、それがお客様には奪われることとして伝わり、上手く行かない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、エネルギーが満ちてくる。

 

溢れるエネルギーからお客様に接することで、お客様は豊かな気持ちになり、上手くいくのだね。

 

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神のメッセージ 2 

全体としてひとつの大いなる力

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁56『強い人が強いとは限らないのである。

 

強い人とは、強くなろうと、自分ひとりの力をどんどん開発していくから、ある程度までは強くなれるが、人間には必ず限界が来るのである。

 

しかし、なんでも自分でやってしまおうとするので、その限界にぶつかり挫折してしまいやすい。

 

自分は弱いと思っている人は、自分ひとりの限界を自覚し、他人の協力を得ようとしたり、他の力を活用しようという発想になるので、多くの力を結集させて、結果的に人間一人では到底できなかったような大きなことが成し遂げられるのである。

 

弱い人ほど、大いなる本当の自分の力に目覚めやすいのである。

 

本当の強さは全体としてひとつの大いなる力のことである。』とある。

 

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弱い人ほど、大いなる本当の自分の力に目覚めやすいのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)で、上手くいっていると、本当の自分(真我)に気づきにくい。

 

偽我の自分であっても、人生はこんなものだろうと、勝手に思い込んで、そこから抜け出すことができない。

 

自分は心と一体となっているので、心に振り回されても、それは自分なのだからと、心をコントロールすることをしようとはしないのだね。

 

心にコントロールされてしまうのでなく、心をコントロールするには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心が静まって、心の中が澄み切ってくることで、心を外して心をコントロールすることができるようになってくる。

 

本当の自分(真我)で生きることで、人生は素晴らしくなっていくね。

 

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神のメッセージ 2

「無い」の奥に「在る」という捉え方

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁50『「知る」「信じる」「みえる」といった、私たち人間の心を通して認識する段階を超越して、「無い」「在る」という世界がある。

 

般若心経では、色即是空、空即是色といって「色という物質的存在には固定的な実態が無い、しかし同時に無いということによって現象界の万物が成り立っている」といわれている。

 

つまり、全ては「無い」という事実がある。

 

しかし、では全ての実体が「無い」と頭で理解したところで、現実に私たちの目の前にはあらゆる現象があって、それが「無い」とは捉えにくい。

 

そこで、更にその奥に「在る」という捉え方がある。

 

これは、私たちの心が捉えている現象、その実体は確かに「無い」のであるが、それら全てが神の愛として顕れている、そこには全てが神の愛として「在る」のである。』とある。

 

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般若心経では、色即是空、空即是色といって「色という物質的存在には固定的な実態が無い、しかし同時に無いということによって現象界の万物が成り立っている」といわれているのだね。

 

色即是空は我即宇宙で、空即是色は宇宙即我になる。

 

目に見えるものは無常であり、固定的な実態は無いのだけれど、その背後には確実にそれらを顕している確かなものが在るのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていては、「色」に翻弄されて「空」に気づくことができない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、目に見えないのだけれども、背後で自分を生かしていただいている確かなものに、自分の体を通して気づいていく。

 

その気づきによって、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

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神のメッセージ 2

完璧な神の愛として捉える

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁48『「知る」世界、「信じる」世界の次の段階として「みえる」世界がある。

 

「みえる」世界とは、私たちがそのことを知ろうが知るまいが、信じられようが信じられまいが、事実として「みえる」ということである。

 

その「みえる」には、「肉眼」、「心眼」、そして「真(神)眼」がある。

 

例えば、赤いシャツを着た人を見たとき、事実として赤いシャツを着ている、と肉眼で捉えられる。

 

知る必要も、信じる必要も無い。

 

また、その人の「心」がどのような状態かが摑めたら、そういった心の原因が然るべき結果を生むと結果が予想できるのは、心の眼、つまり「心眼」である。

 

そして、真我を開発していくと、そのものの本質、事実、真実がみえてくる。

 

これが「真(神)眼」である。「真眼」でみると、あらゆる人・モノ・出来事が、完璧な神の愛として捉えることができるようになってくるのである。』とある。

 

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真我を開発していくと、そのものの本質、事実、真実がみえてくるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識した肉体という個体をベースにして発想することから抜け出すことができない。

 

偏ったものの見方になってしまうのだけれど、それが当たり前だと思い込んでしまっている。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、目の前の現象に反応しなくなってくる自分になって、常に穏やかな自分でいることができるようになってくる。

 

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神のメッセージ 2

捉える世界には様々な段階がある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁46『私たちが捉える世界には様々な段階がある。

 

「知る」という世界は、知ったことを基準にしていくので、長所としては「誠実である」ということである。

 

例えば科学者の姿勢は、同じ実験を繰り返して、実証を重ねたことを発表していくという誠実さがある。

 

しかし、欠点は「知らないことは認められない、見えないものは認められない」ということである。

 

「信じる」世界の長所は、「早い、時間がかからない」ということである。

 

そのことを知ろうが知るまいが、「私はあなたを信じます」と思えた瞬間に、相手の全容を受け入れられたことになる。

 

しかし、欠点は「盲目」になる可能性があるのだ。

 

信じた相手が詐欺師だったらどうなるか?

 

間違った方向を信じ込んでしまう可能性があるのだ。』とある。

 

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私たちが捉える世界には様々な段階があるのだね。

 

目の前の現象に対して、頭で考えて判断していくのは、固定化された基準で思い込みになってしまうので、上手く行かない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、瞬間、瞬間に最適なものが直感的湧き上がってくる。

 

それに従うことで、上手くいくのだね。

 

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神のメッセージ 2

 

 

 

心のゴミは出せば消える

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁44『家にある生ごみを、汚いからといって、押入れにいれて、そのまま放置しておくと、一見片付けたように見えて、やがて発酵して強い臭いを発する。

 

そして、まず家の中、つまり自分がその臭いの影響を受ける。

 

やがで、その臭いが近所までとどいて他人に迷惑をかける。

 

嫌な経験、という心のゴミも、見たくないからといって、心の奥に押し込んで忘れてしまうと、ゴミが臭いを発するが如く、その影響が体に負担をかけ、嫌な気分や病気として現れたり、性格に現れて他人に迷惑をかけ、根本解決にならない。

 

忘却は解決に繋がらないのである。

 

ゴミは捨てるときは臭って嫌な気分になるが、捨ててしまえばスッキリして、臭いもやがて消えていくのである。

 

心のゴミも、出せば消えるのである。』とある。

 

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忘却は解決に繋がらず、心のゴミは出せば消えるのだね。

 

5感で認識たものは絶対的なものではないにも関わらず、それを絶対的なものだと思い込み、5感で認識したものに囚われてしまう。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心のゴミは増えていく。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に向け続けることで、心のゴミ消えていく。

 

真我は目には見えないけれども、そこにフォーカスし続けることで、真我を実感できるようになってくる。

 

1日、24時間の大部分が、偽我の自分にフォーカスしていて、少しだけ真我の自分にフォーカスするぐらいでは、真我を実感することはできないね。

 

常に真我の自分にフォーカスし続けることで、常に豊かな自分でいることができ、その豊かな自分から発想することで、物事の捉え方が素晴らしく変わっていく。

 

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神のメッセージ 2

 

潜在意識は誰彼の区別がつかない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁42『結婚しても「相手が誰でも何故か理由も無く離婚したくなる、幸せになるほど自分で壊したくなる」という思いに駆られ、実際に離婚し、また再婚した相手とも離婚寸前の女性がいた。

 

彼女は幼少の頃、浮気をしていた父親をとても恨み、母親の痛みの復讐を子供心に胸に抱いて育った。

 

しかし、頭では親には感謝しましょうと教わっているので、恨む気持ちを無理やり心の奥の潜在意識に押し込みしまったまま、表面的には忘れたようになっていたのだ。

 

しかし、潜在意識は、誰彼の区別がつかず、父親への恨みが、そのまま夫に出ていたのである。

 

まさに八つ当たりの長期版ともいえるのである。

 

こうした、過去の体験という原因が、別の対象に同じ現象のパターンを繰り返してしまう性質になっているのである。』とある。

 

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過去の体験という原因が、別の対象に同じ現象のパターンを繰り返してしまう性質になっているのだね。

 

葦原瑞穂著 黎明 下巻 頁170に『・・・自我を見るのは自我であり、普遍意識が観るのは普遍意識ですから、相手の欠点を見たり、それについて批判している間の意識は、実在しないものに意識の焦点を合わせている状態になります。

 

この状態では相手に対してだけではなく、自分もまたその迷った状態を維持するようなエネルギーを出し続けているわけで、自分や相手、そして世界全体に対して善いことは何ひとつありません。』とある。

 

相手の欠点が見えたら、自我に意識の焦点を合わせている状態なのだね。

 

その時の自分の波動は粗いものとなっていて、世界全体のエネルギーレベルを下げていることになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、粗い波動から精妙な波動になって、エネルギーレベルが高まっていく。

 

高いエネルギーレベルは高い意識であり、そこからの発想で物事の捉え方が、素晴らしく変わってく。

 

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神のメッセージ 2

【新版】黎明 下巻