苦しみや悩みが必要なこともある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁64『蓮は、泥沼の中に花を咲かせる。

 

泥沼の中に咲くからこそ、蓮の花はきれいに見えるのである。

 

人は、世俗の苦しみの中で生きている。

 

しかし、その中にこそ、本当に悟れるチャンスがあるのだ。

 

泥沼があったからこそ、蓮の花が大きくさくことができたと捉えると、泥沼さえも肯定することができるのだ。

 

泥沼も、蓮の花が咲くのに必要だったのである。

 

世俗の苦しみは、決して悪いことではないのだ。

 

苦しみや悩みがあったからこそ、悟りを得ることができたとすれば、その苦しみも必要なことだったと捉えることができるのだ。』とある。

 

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世俗の苦しみは、決して悪いことではないのだね。

 

自分の外側の現象に振り回され、自分の外側の5感で認識されたものを相手にしていて、苦しみや悩みが酷すぎて、どうにもならないとなった時に、真剣に自分の内側を見つめることができる。

 

苦しみや悩みは、中途半端ではなく、真剣に自分の内側を見つめる機会を与えてくれるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

やり続けることで、自分の波動が高まっていく。それに伴って、肉体が変化していくのを感じることができる。

 

不調和による肉体の歪みが解消されていくことで、どんどんエネルギーの流れが速くなっていく。

 

豊かな自分に気づくことができ、物事の捉え方も表面的ではなく深くなっていくね。

 

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神のメッセージ

業の多い人ほど悟りには近い

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁62『世の中には、早く悟れる人となかなか悟れない人がいる。

 

早く悟れる人は、真剣に求めている人か、大きな悩みや苦しみを抱えている人である。

 

悟りに時間のかかる人は、人生を真剣に考えていない人か、観念でもう知っていると思い込んでいる人である。

 

かつて親鸞上人が「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言った。

 

善人が救われるのに、悪人が救われないわけはない、悪人の方が救いやすい、という意味である。

 

悪人とは、業やカルマの多い人のことを指している。

 

問題を多く抱えている人ほど、真剣に求めるから、悟りを得やすいのである。

 

薄曇りの間は雨は降らないが、雨雲になって雨が降り、雨が上がれば天気が晴れる。

 

業の多い人ほど、悟りには近いのである。』とある。

 

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問題を多く抱えている人ほど、真剣に求めるから、悟りを得やすいのだね。

 

その問題はどこから生じているのかに気づいていく。

 

自分にインプットされているものに拘っていることから問題は生じる。

 

しかし、拘りを無くそうとすればするほど、その拘りを意識してしまい、その結果として拘りを認めることになり、なかなか無くすことはできない。

 

拘っているのは、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)なので、偽我の自分に意識が向いているから、拘りが無くせない。

 

拘りを無くすためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

やり続けることで、エネルギーが高まり、気分が軽くなっていく。

 

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神のメッセージ

 

 

 

 

 

総て天才として受け止める

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁60『人は、美しさの基準を自ら決めてしまうところがある。

 

例えば盆栽は、人が思う美しさにした人工的な美であって、本来の自然の美ではない。

 

しかし、山から木々を見た時、それを自然の美として受け止めることはできる。

 

自然には、天が与えた美があるのだ。

 

同様に、人にも天から与えられた才能がある。

 

だから、人はみな天才なのだ。

 

しかし、人は天才と凡才を作ってしまう。

 

それは、自分の思う美に当てはめようとするからである。

 

天が与えた自然の美を美しいと受け止める心になれば、どんな成長の仕方をしようとも、総て天才として受け止めることができるのだ。』とある。

 

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人は天才と凡才を作ってしまうが、それは、自分の思う美に当てはめようとするからなのだね。

 

天才とか凡才とかと判断するのは、その基準に囚われているからになる。

 

良かったとか悪かったと判断するのも、その基準に囚われているからになる。

 

それらの基準の囚われから自由になることで、生きるのが楽になる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、それらの基準をしっかりと掴んでいることになる。

 

逆にそれらの基準を手放すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

やり続けることで、肉体と言う個体からの発想が薄れていき、より全体から物事を捉えられるようになっていく。

 

囚われが無くなり、良かったとか悪かったとかに振り回されないニュートラルでフラットな状態が、エネルギーの高まりを感じる。

 

そこから、豊かな自分に気づくことができる。

 

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神のメッセージ

一番大きい次元の自分を意識する

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁58『あなたは今、自分の家に住んでいながら、あなたの町にも住んでいる。

 

同時にまた日本にも住んでいる。地球にも住んでいる。

 

そして、宇宙にも住んでいるのだ。

 

ここにいながら、あなたは総ての世界に存在しているのだ。

 

どの次元を意識するかで、人生が変わってくるのだ。

 

例えば、プロ野球選手が、自分の成績を一番に考えるのと、チームの勝利を一番に考えるのとでは、行動が違ってくる。

 

さらにプロ野球界全体のことや、プロスポーツ界全体のころまで意識したら、また姿勢が違ってくる。

 

人は、一番大きい次元の自分を意識した時に、神意識(宇宙意識)になれるのだ。』とある。

 

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どの次元を意識するかで、人生が変わってくるのだね。

 

一番大きい次元の自分を意識しよとしても、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)が制限をするためにできない。

 

肉体と言う個体意識に閉じ込められる。

 

その制限をする偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、その制限を外していく。

 

誰にも制限されていなく、制限しているのは自分自身なのだと気づいていくことで、意識次元を高めていく。

 

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神のメッセージ

 

宇宙の法則に従って生きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁56『コペルニクスガリレオが地動説を唱えるまでは、人々は地球の周りを太陽や押しが回っていると信じて疑わなかった。

 

その後の研究によって、地動説が明らかになり、今では天動説を唱える人は誰もいない。

 

しかし、精神世界は未だに天動説である。

 

精神世界の天動説とは、人が自ら思い描き、それを実現しようとする生き方である。

 

今まさに、精神世界も、天動説から地動説に転換しなければならない時を迎えている。

 

精神世界の地動説とは、宇宙の法則、神の法則に従って生きることだ。

 

人間の思い描いたように生きる天動説から、神の法則に沿って生きる地動説に変換する時が来ているのだ。』とある。

 

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精神世界の地動説とは、宇宙の法則、神の法則に従って生きることなのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けていて、その思いで生きることは、偽我の自分で生きることになる。

 

心の中の想念や妄想でごちゃごちゃと混乱していて、エネルギーが消耗することによって、自分の外側への欲を強めていく。

 

仮に、欲望が叶えられても、束の間の喜びであって、自分が満たされないので、さらなる欲望が生じていく。

 

その欲望は尽きなく、いつまでも自分が満たされることはないのだね。

 

本当に自分を満たすためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

心の中の想念や妄想が静まって、心の中が澄み切ってくると、エネルギーが満ちてきて、豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、人生は素晴らしくなっていく。

 

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神のメッセージ

 

生きながらにして天国に渡る

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁54『「彼岸」というのは、天国でありユートピアである。

 

何ものにもとらわれない、自由自在の世界である。

 

「世俗」とは、欲の世界である。

 

迷い・苦しみ・束縛・執着・不自由・成功哲学の世界である。

 

誰もが「彼岸」に行くことを望んでいる。

 

幸せになりたいというのは、「彼岸」に行きたいということの現われなのである。

 

人は、死ななくても、生きているうちに「彼岸」に渡ることができるのだ。

 

総てを手放す心になった時、人は「彼岸」の川を渡ることができるのだ。

 

全部を手放した時、生きながらにして天国に渡ることができるのだ。

 

それが、究極の悟りであり、解脱であり、魂の目覚めなのだ。

 

人は、生きていながら、自由自在になることができるのだ。』とある。

 

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総てを手放す心になった時、人は「彼岸」の川を渡ることができるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、総てを手放す心にはなれない。

 

自分が満たされていないので、自分の外側への欲が尽きない生き方になってしまう。

 

いつまでも満たされることのない自分で、欲を追求し続けることになる。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、心の中の想念や妄想を静めていく。

 

心の中が澄み切ってくると、自分の内側の動きが分かってくる。

 

エネルギーが満ちてきて、豊かな自分に気づくことができる。

 

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神のメッセージ

思考プロセスから価値判断を取り除く

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁52『今までの学校教育は、ほとんどが知識を脳に詰め込むインプット型である。

 

そうやって記憶した知識や考えで生きると、本当の自分がなかなか出なくなってしまう。

 

問題があった時も、記憶したデータに基づいてしか判断できなくなってしまう。

 

さらには、人に責任転嫁するようになる。

 

しかし、英語でエデュケーションというように、本来、教育は引き出すものである。

 

自分を認め、本当の自分を引き出し、それを表に出していくのだ。

 

本当の自分を発揮するのだから、ストレスにならないし、後悔することもない。

 

アウトプットの世界は、人のせいにすることもなくなるのだ。

 

真我を開くことによって、真我から脳にアウトプットしていくのだ。

 

そこから出てくる直感やアイデアは、インプットした知識とは根本的に違うのである。』とある。

 

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真我を開くことによって、真我から脳にアウトプットしていくのだね。

 

ラムサ(著) 松野健一(訳) ラムサ ホワイトブック 改訂版 頁359『・・・あなたの思考プロセスから価値判断を取り除くための最も容易な方法は何だろうか?

 

それは、自分のフィーリングと、それらを生み出した思考に気づくことである。

 

単にそれらに気づくことによって、あなたは自分の思考をより純粋なものにしていく方法を身につけるのである。

 

不幸や悲しみ、怒りや恐れ、焦りや分離、あるいは何でも自分にとって好ましくないフィーリングを感じたときには、自分が何を考えているかを調べてみてほしい。

 

やがてあなたは、自分の変質した思考(つまり自分や他人に下す価値判断や、生をいろいろな側面や要素に分割する見方)と、自分の不快な感情との間にあるつながりに気づくだろう。』とある。

 

自分の思考が純粋でないと、真我からのアウトプットを受け取ることができない。

 

そのためには、自分の思考をより純粋なものにしていくのだね。

 

好ましくないフィーリングを感じたくなければ、自分の変質した思考を無くすことになる。

 

そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、好ましくないフィーリングを感じなくなって、常に喜び一杯の豊かな自分で在り続けることができる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ

ラムサ ホワイトブック 改訂版