全てのものの元は一つの光源

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁80『神が人間を創造した、という言葉がある。

 

しかし、この言葉は「作ったものと作られたもの」という二元論であり、これが分離意識の始まりになり、全てが一つ、という神を表現した正確な言葉ではない。

 

では、どう表したらよいのか?

 

ちょうど、太陽の光は無色透明の中に全ての色を含んできて、その光がプリズムを通すと、屈折によって赤や青や黄色、紫色と、あらゆる色に分光する。

 

これと同じように、神が、人間として現れたり、犬として、猿として、花として、木として、水として、空気として、地球として、月として・・・と、あらゆるものに顕れたものなのである。

 

この世の全てのものは、神によって作られたのではなく、「全てが神の顕れ」であって、元は一つの光源なのである。』とある。

 

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この世の全てのものは、神によって作られたのではなく、「全てが神の顕れ」であって、元は一つの光源なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けていると、心の中が想念や妄想で、常に混乱している状態になっている。

 

その状態だと、エネルギーを浪費していて、常に満たされない感覚が続いている。

 

それを解消するために、自分の外側に向けた欲望が生じて、欲望が叶えらえても、それは束の間の喜びでしかない。

 

結局、自分の内側のエネルギーの浪費を無くさないと、豊かな自分に気づくことができず、満たされないのだね。

 

豊かな自分に気づくためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

心の中の想念や妄想が静まってエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づいていく。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、欲望が無くなり無欲となっていくね。

 

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神のメッセージ 2

全体として一つの世界

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁78『よく、「今を生きなさい」とか、「ここに集中しなさい」といった人生訓があったりする。

 

ではいったい、今というのはいつのことか?

 

「いま」と言っている間に今は過ぎ去っていく。

 

私たちが過去と言っているのは、私たちが思う過去であって本当は実在しない。

 

未来も、今の自分が思う未来であって実在しない。

 

本当の今とは真我のことを言う。

 

新宿に住んでいる人が「ここ」と言うのも、新宿もここだし、東京もここだし、日本もここだし、地球も、宇宙もここなのである。

 

ここはいったい何処なのだろうか。

 

本当のここは真我である。

 

真我は宇宙そのものであり、宇宙は無限であって、全体として一つの世界のことである。』とある。

 

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私たちが過去と言っているのは、私たちが思う過去であって本当は実在しないし、未来も、今の自分が思う未来であって実在しないのだね。

 

過去も未来もなく、無いものを作り上げて、それらに囚われしまっている。

 

今を生きるには、心の中の想念や妄想を静めていく。

 

そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

エネルギーが満ちてきて、豊かな自分に気づくことができる。

 

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神のメッセージ 2 

完璧な配置換えが自動的に起きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁76『ある組織や場には、中心がある。その中心のエネルギーには、常に遠心力と求心力が同時に働いている。

 

中心のエネルギーが強くなると、同じエネルギーのものをより引き寄せる求心力が大きく働き、より同じエネルギーの人やモノが吸い寄せられてくる。

 

また同時に、違うエネルギーのものを引き離す遠心力が更に強く働き、エネルギーの違う人やモノが引き離されるようになり、然るべきネネルギーへ引き寄せられてくる。

 

組織を変化させるには、中心がより強いネネルギーを発するように変化していくことである。

 

そうすれば、考えたり、意図せずとも、完璧な配置換えが自動的に起きるのである。

 

まさに「神のリストラ」がおこなわれるのである。』とある。

 

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組織を変化させるには、中心がより強いネネルギーを発するように変化していくことで、考えたり、意図せずとも、完璧な配置換えが自動的に起きるのだね。

 

考えたり、意図するから、波動が乱れて混乱したエネルギーとなるから上手くいかない。

 

心を使えば使うほど、エネルギーは下がり上手くいかない。

 

心の中の想念や妄想を静めるには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

心が外れると、今に生きることができ、豊かな自分で在り続けることができる。

 

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神のメッセージ 2

黄金を引き寄せるようなエネルギー

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁74『人の意識次元が上昇すると、その意識の人から発するエネルギーが変化する。

 

例えば磁石を例にすると、意識が変わると磁石というエネルギーが変わる。

 

磁力が変わると、引き寄せるものが変わるのである。

 

普通、磁石は鉄を引き寄せるが、仮にゴミを引き寄せる磁力というものがあったとして、そのエネルギーに変化したら、鉄が離れてゴミが付く。黄金を引き寄せる磁力になったら黄金を引き寄せる。

 

意識も、同じエネルギーのものを引き寄せる。意識が変わると、出逢いや現象が自ずと変わってくるのである。

 

あなたの意識が真我に近づき、エネルギーが変わると、まさに黄金を引き寄せるようなエネルギーが黄金を引き寄せ、素晴らしい人生が現れてるくのである。』とある。

 

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人の意識次元が上昇すると、その意識の人から発するエネルギーが変化するのだね。

 

自分の外側の物資的なものに意識が向ていると、波動が粗く、エネルギーレベルが低い。

 

自分の内側が満ちていないので、どうしても自分の外側の物資的なものを集めて、自分を満たそうとする。

 

自分の外側の物資的なものは無常であり、相対的なものであるから、それによって、自分を満たそうとして、満たしたとしても、それは直ぐに変化してしまい、また満たされれない自分に戻ってしまう。

 

変化してしまうものをいくらかき集めても、それは束の間の喜びでしかないのだね。

 

自分の内側が満ちていないのは、心の中の想念や妄想が混乱していて、エネルギーを浪費しているからであり、その浪費が無くなれば、もともとエネルギーは満ちていて、もともと豊かな自分に気づくことができるのだね。

 

そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

心の中の想念や妄想が静まってくると、粗い波動から、精妙な波動へと変化し、エネルギーレベルが高まっていく。

 

エネルギーレベルが高まると、常に豊かな自分で在り続けるね。

 

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神のメッセージ 2

 

全てと繋がっている一つの意識

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁72『私とあなたは、あかの他人。

 

別の人。

 

そう捉えるのが普通である。

 

しかしそれは、肉眼で見える世界が、実際に肉体が分離して見えるからなのだ。

 

しかし、目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのである。

 

私たちの考えや観念、また個人の体験経験による記憶は個々別々の意識だが、その奥の方では、まず家族など、同じ地域や国単位、グループや団体として繋がっている共通した意識もある。

 

そして、真我は全てと繋がっている一つの意識である。

 

特に身内や仲間では意識が浅いところで繋がっていて、例えばAさんの真我の体感の影響がBさんに行ったりする場合もある。

 

物理的に一見、因果関係の無いと思われる二つの出来事が、共通の意味をもって起きる現象、「シンクロニシティ現象」も、見えない意識の仕組みを理解すると必然的に起きていることが分かるのである。』とある。

 

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目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、個体意識からの発想で物事を捉えるので、上手くいかない。

 

頭にインプットされた固定化されたもので、目の前の現象に対応するため、無常なものに知っている限定された知識で対応するため、上手くいかない。

 

世の中のあらゆるノウハウを頭にインプットしたとしても、有限なもので無常に対応することになり、上手くいかないのだね。

 

上手くいくためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

個体意識から全体意識で物事を捉えることで、瞬間、瞬間の最適な判断ができるようになるから、上手くいくのだね。

 

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神のメッセージ 2

 

事実は無限で固定的な実体はない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁70『目で人間を見るとき、普通は私たちの普段知っている肉体の人間が見える。

 

しかし、もし何万倍率も見える顕微鏡のような目を持っていたら、普段の肉体としての人間の姿には見えないだろう。

 

仮に細胞まで見える倍率の目があったら、人間でなく細胞として見える。

 

原子が見える目があったら、原子が見える。

 

しかし、どの倍率で見ても、その人間の事実であることに変わりは無い。

 

つまり私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人間のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのである。

 

事実は無限にあるのだ。』とある。

 

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私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人間のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのだね。

 

5感で認識したものは、一側面であって全てではなく、それを全てであると捉えるのは思い込みに過ぎない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いて、個体意識からの発想では、偏ったものの見方からであるから、上手くいかないのだね。

 

個体意識からの発想を抜け出すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

部分ではなく、より全体から物事を捉えることで、いろいろな気づきが生じて、瞬間、瞬間の判断が適切なものとなり、上手くいくようになる。

 

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神のメッセージ 2

囚われない自由な境地の心

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁68『私たちの人生は、全て心が主体となって展開していくのである。

 

地獄を味わう人は、外に地獄があるのではなく、地獄を反映させる原因となる心を持っているのである。

 

また、天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのである。

 

これを仏教では涅槃の境地ともいう。

 

そういった心という内界の原因が現象という外界に結果として現れているのが、人生なのである。

 

元々自分にあったものが出てきているのである。

 

涅槃とは、まさに真我に目覚めることである。

 

真我に目覚めることによって、その自由な心が天国を展開させてくれるのである。』とある。

 

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地獄を味わう人は、地獄を反映させる原因となる心を持っていて、天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのだね。

 

自分を自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中が想念や妄想で混乱している状態が当たり前であり、そのことに慣れきってしまっていて、その状態から抜け出せない。

 

これが地獄なのだけれど、そうしているのは偽我の自分なのだね。

 

偽我の自分に意識を向けると、偽我の自分にエネルギーを注いでいることになり、ますます偽我の自分が強くなっていく。

 

これでは地獄から抜け出せないね。

 

地獄らか抜け出すためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

やり続けることで、偽我の自分にエネルギーを注ぐことがなく、エネルギーの消耗が無くなり、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

この豊かな自分は、常に無条件で在り続けるので、天国と言えるのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2