より全体像から判断できる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁66『意識が高い低いというのは、全体で見ているのか、目の前で見ているのか、ということである。

 

例えば、火事が起きたとき、目の前でそれを見ている人と、全体を見渡せる高いところにいる人とでは、どちらが的確な判断ができるだろうか?

 

目の前で火事を見ている人は、目の前の火事の家ばかりにこだわってバタバタ慌てながら、火が移りそうな隣の家まで見えていないかもしれない。

 

意識が高いと全体が見える。

 

全体が見えるから、その見えるところで判断できるようになるのである。

 

意識の高い人というのは、より全体像から判断できる人ということなのである。』とある。

 

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意識が高い低いというのは、全体で見ているのか、目の前で見ているのか、ということなのだね。

 

5感で認識したものが強烈だから、それだけで物事を捉えることが、当たり前であると思い込んでしまうと、自分で意識を低いままに制限していることになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いてしまうのも、その思い込みが外れないからになる。

 

誰も制限していないのに、自ら限定した意識に留めてしまうのだね。

 

そこから抜け出すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

1日、24時間、自分は偽我ではなく真我なのだと、真我に意識を向け続けることで、真我を実感できるようになってくる。

 

もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2

 

自分の意識次元を上げていく

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁64『私たちの意識次元は無限であり、あらゆる次元にその次元の世界があり、物語があるのだ。

 

高い次元にいる人と、低い次元にいる人は、出会いたくてもすれ違ったり、同じ空間にいてもまったく違う世界を味わうのである。

 

真我を開発し、自分の意識次元を上げていくと、まず、出会う人が自然に変わってくる。

 

すると当然、入ってくる情報が変わってくる。

 

その情報や出逢いによって導かれるように、ほんとうの自分がやるべき事への人生の物語が展開されてくるのである。』とある。

 

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真我を開発し、自分の意識次元を上げていくと、まず、出会う人が自然に変わってくるのだね。

 

5感で認識したものに合わせて、意識を留めてしまうと意識次元は上がらない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分に(偽我)に意識が向いていると、有限の個体からの発想しかできない。

 

意識次元を上げるためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

それをやり続けることで、さまざまな気づきが生じて、物事の捉え方が素晴らしく変わっていく。

 

幸せになることは、何かをすることによってとか、何かの理由があってなるものだということが、思い込みであったことに気づくことができるね。

 

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神のメッセージ 2

 

 

人生が全く違うものになる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁62『私たちの真の実在は、生れてくることも無く、死ぬことも無い、永遠の命である。

 

それは魂であり、「神の命」といいってもいい、「永遠の命」のことである。

 

それに対して、普通私たちが自分と捉えているこのこの肉体の命は、生まれて、そしていつか死ぬ。

 

私たちはこの肉体の命の中で、様々な体験を通して真我に目覚めていくのである。

 

自分を肉体と捉えて命が有限であると思うか、自分を魂と捉えて命が永遠であると思うかによって、人生が全く違うものになるのである。』とある。

 

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自分を肉体と捉えて命が有限であると思うか、自分を魂と捉えて命が永遠であると思うかによって、人生が全く違うものになるのだね。

 

思うだけなのだけれども、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、「偽我の自分」が巧妙にそのようには思わせないようにする。

 

「偽我の自分」の抵抗は物凄く強力だから、何とかしようとしても、結局、「偽我の自分」で生きることになってしまう。

 

そうならないためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、「偽我の自分」を手放し、「自分を魂と捉えて命が永遠である。」と本当に思える自分になっていく。

 

真理はとてもシンプルなのだけれども、そう思わせないのも、「偽我の自分」による抵抗なのだね。

 

お釈迦さまの言葉で、「自己に勝つ者こそ最高の勝利者である。」とあり、「偽我の自分」⇒「真我の自分」で生きることだと思うけど、それほど、「偽我の自分」による抵抗は強力になる。

 

つまり、 1日、24時間、常に「真我の自分」に意識を向け続けることができれば、最高の勝利者となり、人生が全く違うものになるのだね。

 

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神のメッセージ 2

物事は一瞬の休みも無く常に変化

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁60『「流行」とは「流れて行く」と書くが、これは人の心が流れて行くのである。昨日まではこうゆう洋服が流行っていた。

 

でも一ヶ月もたったら、誰も着ていなかったとか、スカートが短い、長いとか、みんなの心が求めているものが、やがて忘れていって消えていく。

 

人の心をきちんと見ていなければ、例えば、今これが流行っているからといってそこに投資したら、後で大損害を被ったりということもあるのである。

 

人の心を見ることを川でいうなら、上流を観ることである。

 

今ここに流れていることばかりみていたら、あっという間に下流に流れて行ってしまう、ということである。

 

これを仏教で言うなら「無常」という。

 

常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているということである。』とある。

 

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常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、頭にインプットされた固定化されたもので、目の前の物事を判断することになるが、それでは上手くいかない。

 

目の前の物事の変化のスピードに、有限な判断基準では、対応しきれないのだね。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、宇宙全体の一つの意識に繋がり、そのことによって、目の前の物事に対して、瞬間、瞬間の判断が、頭による考えではなく、直感的に湧き上がって来る。

 

それに沿って動くことで、全てが上手くいき、人生が素晴らしくなっていくのだね。

 

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神のメッセージ 2

永遠不変のビジネスの真理

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁58『バブルとは泡のことであるが、バブルがはじけたと言うのは何なのか。

 

商売、仕事で言うなら、お客様に喜んでいただいて利益を上げていくのはバブルではない。

 

これははじけて消えない、永遠不変なのである。ビジネスの真理である。

 

しかし、土地の値上がりや株の値上がりなどで儲け、人を喜ばせないで、自分を高めようとしないで、楽をして儲けようとする。

 

それをバブルと言うのである。

 

自分を高めようとせず、またお客様を喜ばせようともせずに、利益を得ていったものは、まさに泡がはじけるように幻と化してゆくのである。』とある。

 

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商売、仕事で言うなら、お客様に喜んでいただいて利益を上げていくのはバブルではないのだね。

 

お客様に喜んでいただくには、まず自分が喜び一杯でなければならない。自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、エネルギーを消耗していて、エネルギーの不足感から「欲しい、欲しい、欲しい」の波動になって、それがお客様には奪われることとして伝わり、上手く行かない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、エネルギーが満ちてくる。

 

溢れるエネルギーからお客様に接することで、お客様は豊かな気持ちになり、上手くいくのだね。

 

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神のメッセージ 2 

全体としてひとつの大いなる力

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁56『強い人が強いとは限らないのである。

 

強い人とは、強くなろうと、自分ひとりの力をどんどん開発していくから、ある程度までは強くなれるが、人間には必ず限界が来るのである。

 

しかし、なんでも自分でやってしまおうとするので、その限界にぶつかり挫折してしまいやすい。

 

自分は弱いと思っている人は、自分ひとりの限界を自覚し、他人の協力を得ようとしたり、他の力を活用しようという発想になるので、多くの力を結集させて、結果的に人間一人では到底できなかったような大きなことが成し遂げられるのである。

 

弱い人ほど、大いなる本当の自分の力に目覚めやすいのである。

 

本当の強さは全体としてひとつの大いなる力のことである。』とある。

 

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弱い人ほど、大いなる本当の自分の力に目覚めやすいのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)で、上手くいっていると、本当の自分(真我)に気づきにくい。

 

偽我の自分であっても、人生はこんなものだろうと、勝手に思い込んで、そこから抜け出すことができない。

 

自分は心と一体となっているので、心に振り回されても、それは自分なのだからと、心をコントロールすることをしようとはしないのだね。

 

心にコントロールされてしまうのでなく、心をコントロールするには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心が静まって、心の中が澄み切ってくることで、心を外して心をコントロールすることができるようになってくる。

 

本当の自分(真我)で生きることで、人生は素晴らしくなっていくね。

 

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神のメッセージ 2

「無い」の奥に「在る」という捉え方

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁50『「知る」「信じる」「みえる」といった、私たち人間の心を通して認識する段階を超越して、「無い」「在る」という世界がある。

 

般若心経では、色即是空、空即是色といって「色という物質的存在には固定的な実態が無い、しかし同時に無いということによって現象界の万物が成り立っている」といわれている。

 

つまり、全ては「無い」という事実がある。

 

しかし、では全ての実体が「無い」と頭で理解したところで、現実に私たちの目の前にはあらゆる現象があって、それが「無い」とは捉えにくい。

 

そこで、更にその奥に「在る」という捉え方がある。

 

これは、私たちの心が捉えている現象、その実体は確かに「無い」のであるが、それら全てが神の愛として顕れている、そこには全てが神の愛として「在る」のである。』とある。

 

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般若心経では、色即是空、空即是色といって「色という物質的存在には固定的な実態が無い、しかし同時に無いということによって現象界の万物が成り立っている」といわれているのだね。

 

色即是空は我即宇宙で、空即是色は宇宙即我になる。

 

目に見えるものは無常であり、固定的な実態は無いのだけれど、その背後には確実にそれらを顕している確かなものが在るのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていては、「色」に翻弄されて「空」に気づくことができない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、目に見えないのだけれども、背後で自分を生かしていただいている確かなものに、自分の体を通して気づいていく。

 

その気づきによって、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2