実相の世界に生きることができる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁110『仮相とは、夢の世界である。


実相とは、夢から目覚めた世界である。


実相とは、神の世界であり、神に目覚めていなければ、人は仮相の世界で寝ていると言えるのである。


人は怖い夢を見ると、寝汗をかいたり、うなされたり、金縛りにあったりする。


しかし、目が覚めると、何もなかったことに気づく。


それでもまだ、汗をかき、心臓は脈打っているのだ。


まさに人は、夢に動かされ、振り回されているのである。


たとえ起きていても、持ち越し苦労や取り越し苦労をしている。


人は、起きていながら寝ているとも言えるのだ。


真我に目覚めたら、一瞬にして、実相の世界に生きることができるのである。』とある。


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持ち越し苦労や取り越し苦労をしている人は、起きていながら寝ているとも言えるのだね。


自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中が想念や妄想で混乱していて、持ち越し苦労や取り越し苦労が絶えない。


偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、心の中の想念や妄想を静めていく。


心の中が澄み切っていき、エネルギーが満ちてくる。


もともと豊かな自分に気づくことができ、豊かな自分から発想することで、物事の捉え方が素晴らしく変わっていく。


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神のメッセージ


自分自身の役割通りに生きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁108『アメリカのある大学の調査によると、世の中で成功者と言えるの人は、わずか三パーセントしかいないということである。

 

自分の思った通りになることが成功だとすると、わずかしか成功者になれない。

 

しかし、真の成功は、百パーセントの人が手に入れることができるのである。

 

それは、人と比較することでもなく、頭に描いたことを実現することでもない。

 

本当の自分自身を知り、自分自身の役割通りに生きれば、その瞬間から百パーセントの人が成功者になれるのだ。

 

自転車が自動車を見て、「あんなふうに早く走れるようになりたい」と思っていたら、永遠に成功できない。

 

しかし、渋滞に関係なく、ガソリンが不要で、どこでも走れるといった自転車独自の役割に気づけば、自転車のままで成功できるのだ。』とある。

 

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本当の自分自身を知り、自分自身の役割通りに生きれば、その瞬間から百パーセントの人が成功者になれるのだね。

 

シンプルに何のために生きているのかのか?と問われた時に、自信を持って明確に答えることができるかになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分の外側からインプットされているものをベースにした発想では、その問いには明確に答えることは難しい。

 

その時の状況しだいで、その答えは揺れ動くかもしれない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、何のために生きているかに気づいていく。

 

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神のメッセージ

 

もともとある自分自身に気づく

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁106『自分自身を認めたら認めた分だけ、力は出てくるのである。

 

自分自身を認めることが、自信を持つということである。

 

百の力があるのに、一しか認めなければ一しか力は出ない。

 

しかし、十認めれば、十の力が出、三十認めれば、三十の力が出る。

 

百の力があることを認めた時、初めて百の力が発揮されるのだ。

 

百の力を認めて訓練をすれば、今まで眠っていた力が出てくるのだ。

 

自分が持てる百の力を、全部認めるようになることだ。

 

百の力を全部認めるようになるには、あなたが神であることを自覚することだ。

 

なぜなら、神は百%だからだ。

 

もともとある自分自身に気づくほど、意識は高まるのである。

 

自分を認められるようになることが、あなたの人生を素晴らしいものにするのだ。』とある。

 

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自分自身を認めたら認めた分だけ、力は出てくるのであり、自分自身を認めることが、自信を持つということなのだね。

 

自分自身を認めることが難しいのは、自分自身を認めることができない思いが湧き上がってくるからで、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いているからになる。

 

そのため、自分自身を限定して、そこから発想するので、自分を認めることができない。

 

自分自身を限定してしまうのは、偽我の自分であり、偽我の自分が最大の敵なのだね。

 

だから、敵は周りにはいない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

いろいろな気づきから、囚われていたものが外れていくことで、自然に自分自身を認められるようになっていく。

 

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神のメッセージ 

今の環境をより深く見つめる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁104『人は、職場でいじめられたり、周りの人との人間関係がうまくかないと、どうしてもそこから逃げたくなるものだ。

 

その時、横に移動するか、縦に移動するかで、その後の人生が違ってくるのだ。

 

それに対して、縦に移動するというのは、同じ場所、同じ環境にいながら、一挙に人間関係が素晴らしくなり、嫌いだった人を逆に愛せるようになるということだ。

 

それは、あなたの意識次元がアップするということでもある。

 

自分の意識を上げるには、今の環境をより深く見つめ、絶えざる意識の向上を心掛けることである。

 

また、意識がアップしてくると、その環境が合わなくなることもある。

 

その時には、自然と適材適所に定まってくるのだ。』とある。

 

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縦に移動するというのは、同じ場所、同じ環境にいながら、一挙に人間関係が素晴らしくなり、嫌いだった人を逆に愛せるようになるということなのだね。

 

横に移動しても、また同じような逃げ出したくなるような現象が生じるのは、意識が下がったままだからになる。

 

そのことに気づいていないと、横に移動することを何度も繰り返してしまうことになる。

 

逃げ出したくなるような思いになった時、その思いはどこから来ているのかについて、自分を見つめることが大切だね。

 

自分を苦しめるのは、自分の周りの環境ではなく自分自身であり、自分が囚われてしまっているものに気づいていく。

 

そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

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神のメッセージ 

 

家庭や職場での大調和実現の方法

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁102『左脳は、主に論理や数値、記憶を司どる脳であり、右脳は、主に感覚、情緒、直感などを司どる脳である。

 

現代人は、知識詰め込み型の教育を受けてきたため、左脳ばかりを働かせ過ぎる傾向がある。それに比べて、右脳を働かせることが少ない。

 

社会問題は、左脳か右脳が一人歩きをした結果起こるものである。

 

左脳が一人歩きして社会問題を起こす事例は、教育者や医者、官僚などに多い。

 

右脳が一人歩きして社会問題を起こす事例は、宗教家などに多い。

 

左脳も右脳も、真我を基盤に働かせなければ、誤まりを犯してしまうことになる。

 

真我からの指令を受けた上で、左脳や右脳を働かせなければならないのだ。

 

真我あってこその、左脳・右脳であることを忘れてはならないのだ。』とある。

 

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真我からの指令を受けた上で、左脳や右脳を働かせなければならないのだね。

 

これであれば、悩みや苦しみは生じず、調和の中で生きることができる。

 

ベアード・T・スポールディング著/仲里誠吉訳「ヒマラヤ聖者の生活探求 第4巻」の頁247『・・・われられが調和の想念や感情のみを相手から引き出す様にしたり、こちらからもそのような想念や感情のみを相手に与える様にするならば、不調和など惹き起こすものでは決してありません。

 

大体こちらから調和を与えれば不調和の起こりようは絶対にないのです。

 

なぜならば完全に調和の雰囲気が自分の周囲にできあがるからです。

 

すでに調和である以上、その雰囲気から不調和の現われることは出来ないのです。

 

これはすべて意識によってなされるものです。

 

而もわれわれは不調和よりは調和の方を遥かに意識するものです。

 

何故なら人間の本性は調和だからです。

 

大調和の実現は、不調和などに決して目を向けないことによって成長するのであります。』とある。

 

家庭や職場などで、絶えずトラブルが起きたりするのは、不調和の雰囲気が自分の周囲にできあがっているからだね。

 

心の中が想念や妄想で混乱していると、自分の周囲に、その不調和の雰囲気を生じさせている。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、その不調和の雰囲気が続いていく。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

常に大調和である真我に意識を向け続けることで、大調和の雰囲気が自分の周囲にできあがり、大調和の中で生きることができるのだね。

 

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神のメッセージ

ヒマラヤ聖者の生活探究 第4巻?自由自在への道 

成長よりも脱皮が必要な時代

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁100『幼虫が大きく育つのが成長であり、サナギが蝶になるのが脱皮である。

 

今までの考え方、生き方で人生を終わらせるのが良いのか。

 

それとも、大きく生まれ変わって、人生二度生きるのが良いのか。

 

これからは、成長よりも脱皮が必要な時代である。

 

人類の新しい生き方は、脱皮をするという生き方である。

 

今までの人類は、金やモノばかりに執着してきた。

 

しかし、神は既に総てのものを人類に与えているのである。

 

だから、総てをいただいていることに感謝することによって、その瞬間に幸せを感じることができるのである。』とある。

 

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総てをいただいていることに感謝することによって、その瞬間に幸せを感じることができるのだね。

 

総てをいただいている思えるようになると、常に豊かな自分でいられるので、自分の外側のもので自分を満たそうとする発想にはならない。

 

だから、物事の捉え方が素晴らしくなり、人生も素晴らしくなる。

 

常に豊かな自分でいるためには、高いエネルギーレベルになることであり、常に体中を良い波動で満たしていることだね。

 

心の中が想念や妄想で混乱しているのは、体中を悪い波動で満たしていることになり、エネルギーレベルが下がっていて、気づいていないかもしれないけど、慢性的な不足感が生じていて幸せ感が高まらない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中の想念や妄想による混乱が続いていく。

 

M・マクドナルド・ベイン著/仲里誠吉訳「心身の神癒」の頁179『聖なる神殿(肉体)を毎日神我の生命の力強い、かつ断定的な波動で満たし、周囲の雰囲気を、肉の感官を超えて、昇華させよ。』とある。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

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神のメッセージ

心身の神癒―主、再び語り給う

自分の心に化学変化が起きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁98『コップに入った水を変化させようとする時、それと同じ水をいくら混ぜても、コップの中の水は何も変わらない。

 

しかし、インクを一滴入れると、たちまちコップの中の水は変わってしまう。

 

自分を変えようとする時も、自分でいくら考えても、自分は変わらないのだ。

 

なぜならば、いくら考えたとしても、結局は自分の考えに過ぎないからだ。

 

考えれば考えるほど、自分の考えが強くなるだけなのだ。

 

しかし、人と出会うことによって、自分の心に化学変化が起きるのだ。

 

人との出会いによって、初めて発想が変わってくるのだ。

 

自分を変えようとする時には、どうしても人の協力が必要なのだ。

 

自分自身では、いくらがんばって考えても、自分の枠から出ることができないのだ。

 

自分で自分は変えられないことを知ることである。』とある。

 

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自分自身では、いくらがんばって考えても、自分の枠から出ることができないのだね。

 

がんばってしまうのは、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いているからであり、その偽我の自分は、常に満たされていないので、満たすために自分の外側のもので補おうとする。

 

いくら補っても、満たされない自分であり続けるので、自分の外側への欲求は尽きない。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰ものに内在する究極の全体、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄み切ってくると、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分でいることで、自分を満たすための自分の外側への欲求は無くなり、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

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