お釈迦様には矢が当たらない

心の学校 佐藤学長の「天運を拓く」の頁20に、『・・・他人が自分の心を傷つけたと思っているとしたら、それは被害妄想です。

 

どんなに悪口を言われても、どんなに落ち込むことを言われても、自分の心の中にその電波をキャッチするアンテナがなければ傷つかないのです。

 

これは「無神経になれ」と言っているのではありません。

 

物事の真理を掴むことができれば、真理以外のことに惑わされないと言っているのです。

 

総ての問題は、受け止める自分自身の心にあるのです。・・・』とある。

 

お釈迦様に矢が当たらないのは、お釈迦様に傷つけることを言っても、傷つかないこと。

 

この自分の心の中のアンテナが、20年ぐらい???だった。

 

現在、このアンテナは、自分の中の過去の記憶で、誹謗中傷に自動的に反応してしまうものと捉えている。

 

このアンテナを無くすことは、自分の中の過去の記憶、フィルムを書き換えることになる。

 

相手の話が聞けない人は、相手の言葉に対して、自分の中の過去の記憶から自動的に反応して湧き上がってくる思いを聞いているから。

 

相手の言葉ではなく、自分の思いを聞いていることになる。

 

相手がお客さんだったら、お客さんのニーズが掴めないし、自分の思い込みによるズレた提案をしてしまうかもしれない。

 

満月の法則で、相手を満月に捉えよとしても、目の前の現象を受けて、自分の中の過去の記憶から自動的に反応して湧き上がってくる思いで、相手を満月に捉えられない。

 

どうして、自分はできないのだろうかと、自分を責めてしまうかもしれない。

 

結局、自分の中の過去の記憶、フィルムを書き換えなければ・・・

 

フィルムをどんどん綺麗にしていくことで、相手の話を聞けるようになり、相手を満月に捉えられるようになり、自分を満月と認められるようになるね。

 

そのためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我、まんまる)に、自分の意識を向け続ける。

 

今日も「真我の実践」を唱え続ける。

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 満月の法則