全てと繋がっている一つの意識

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁72『私とあなたは、あかの他人。

 

別の人。

 

そう捉えるのが普通である。

 

しかしそれは、肉眼で見える世界が、実際に肉体が分離して見えるからなのだ。

 

しかし、目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのである。

 

私たちの考えや観念、また個人の体験経験による記憶は個々別々の意識だが、その奥の方では、まず家族など、同じ地域や国単位、グループや団体として繋がっている共通した意識もある。

 

そして、真我は全てと繋がっている一つの意識である。

 

特に身内や仲間では意識が浅いところで繋がっていて、例えばAさんの真我の体感の影響がBさんに行ったりする場合もある。

 

物理的に一見、因果関係の無いと思われる二つの出来事が、共通の意味をもって起きる現象、「シンクロニシティ現象」も、見えない意識の仕組みを理解すると必然的に起きていることが分かるのである。』とある。

 

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目には見えないが意識では、その奥深いところでは繋がっているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、個体意識からの発想で物事を捉えるので、上手くいかない。

 

頭にインプットされた固定化されたもので、目の前の現象に対応するため、無常なものに知っている限定された知識で対応するため、上手くいかない。

 

世の中のあらゆるノウハウを頭にインプットしたとしても、有限なもので無常に対応することになり、上手くいかないのだね。

 

上手くいくためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

個体意識から全体意識で物事を捉えることで、瞬間、瞬間の最適な判断ができるようになるから、上手くいくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2

 

事実は無限で固定的な実体はない

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁70『目で人間を見るとき、普通は私たちの普段知っている肉体の人間が見える。

 

しかし、もし何万倍率も見える顕微鏡のような目を持っていたら、普段の肉体としての人間の姿には見えないだろう。

 

仮に細胞まで見える倍率の目があったら、人間でなく細胞として見える。

 

原子が見える目があったら、原子が見える。

 

しかし、どの倍率で見ても、その人間の事実であることに変わりは無い。

 

つまり私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人間のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのである。

 

事実は無限にあるのだ。』とある。

 

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私たちが見ている人間の姿は、ある固定化された倍率だけの世界、その人間のレベルで見たものであって、そのものの実体ではないのだね。

 

5感で認識したものは、一側面であって全てではなく、それを全てであると捉えるのは思い込みに過ぎない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いて、個体意識からの発想では、偏ったものの見方からであるから、上手くいかないのだね。

 

個体意識からの発想を抜け出すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

部分ではなく、より全体から物事を捉えることで、いろいろな気づきが生じて、瞬間、瞬間の判断が適切なものとなり、上手くいくようになる。

 

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神のメッセージ 2

囚われない自由な境地の心

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁68『私たちの人生は、全て心が主体となって展開していくのである。

 

地獄を味わう人は、外に地獄があるのではなく、地獄を反映させる原因となる心を持っているのである。

 

また、天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのである。

 

これを仏教では涅槃の境地ともいう。

 

そういった心という内界の原因が現象という外界に結果として現れているのが、人生なのである。

 

元々自分にあったものが出てきているのである。

 

涅槃とは、まさに真我に目覚めることである。

 

真我に目覚めることによって、その自由な心が天国を展開させてくれるのである。』とある。

 

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地獄を味わう人は、地獄を反映させる原因となる心を持っていて、天国を味わう人は、天国を反映させる何ものにも囚われない自由な境地の心を持っているのだね。

 

自分を自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、心の中が想念や妄想で混乱している状態が当たり前であり、そのことに慣れきってしまっていて、その状態から抜け出せない。

 

これが地獄なのだけれど、そうしているのは偽我の自分なのだね。

 

偽我の自分に意識を向けると、偽我の自分にエネルギーを注いでいることになり、ますます偽我の自分が強くなっていく。

 

これでは地獄から抜け出せないね。

 

地獄らか抜け出すためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

やり続けることで、偽我の自分にエネルギーを注ぐことがなく、エネルギーの消耗が無くなり、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

この豊かな自分は、常に無条件で在り続けるので、天国と言えるのだね。

 

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神のメッセージ 2

 

より全体像から判断できる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁66『意識が高い低いというのは、全体で見ているのか、目の前で見ているのか、ということである。

 

例えば、火事が起きたとき、目の前でそれを見ている人と、全体を見渡せる高いところにいる人とでは、どちらが的確な判断ができるだろうか?

 

目の前で火事を見ている人は、目の前の火事の家ばかりにこだわってバタバタ慌てながら、火が移りそうな隣の家まで見えていないかもしれない。

 

意識が高いと全体が見える。

 

全体が見えるから、その見えるところで判断できるようになるのである。

 

意識の高い人というのは、より全体像から判断できる人ということなのである。』とある。

 

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意識が高い低いというのは、全体で見ているのか、目の前で見ているのか、ということなのだね。

 

5感で認識したものが強烈だから、それだけで物事を捉えることが、当たり前であると思い込んでしまうと、自分で意識を低いままに制限していることになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いてしまうのも、その思い込みが外れないからになる。

 

誰も制限していないのに、自ら限定した意識に留めてしまうのだね。

 

そこから抜け出すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

1日、24時間、自分は偽我ではなく真我なのだと、真我に意識を向け続けることで、真我を実感できるようになってくる。

 

もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

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神のメッセージ 2

 

自分の意識次元を上げていく

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁64『私たちの意識次元は無限であり、あらゆる次元にその次元の世界があり、物語があるのだ。

 

高い次元にいる人と、低い次元にいる人は、出会いたくてもすれ違ったり、同じ空間にいてもまったく違う世界を味わうのである。

 

真我を開発し、自分の意識次元を上げていくと、まず、出会う人が自然に変わってくる。

 

すると当然、入ってくる情報が変わってくる。

 

その情報や出逢いによって導かれるように、ほんとうの自分がやるべき事への人生の物語が展開されてくるのである。』とある。

 

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真我を開発し、自分の意識次元を上げていくと、まず、出会う人が自然に変わってくるのだね。

 

5感で認識したものに合わせて、意識を留めてしまうと意識次元は上がらない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分に(偽我)に意識が向いていると、有限の個体からの発想しかできない。

 

意識次元を上げるためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

それをやり続けることで、さまざまな気づきが生じて、物事の捉え方が素晴らしく変わっていく。

 

幸せになることは、何かをすることによってとか、何かの理由があってなるものだということが、思い込みであったことに気づくことができるね。

 

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神のメッセージ 2

 

 

人生が全く違うものになる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁62『私たちの真の実在は、生れてくることも無く、死ぬことも無い、永遠の命である。

 

それは魂であり、「神の命」といいってもいい、「永遠の命」のことである。

 

それに対して、普通私たちが自分と捉えているこのこの肉体の命は、生まれて、そしていつか死ぬ。

 

私たちはこの肉体の命の中で、様々な体験を通して真我に目覚めていくのである。

 

自分を肉体と捉えて命が有限であると思うか、自分を魂と捉えて命が永遠であると思うかによって、人生が全く違うものになるのである。』とある。

 

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自分を肉体と捉えて命が有限であると思うか、自分を魂と捉えて命が永遠であると思うかによって、人生が全く違うものになるのだね。

 

思うだけなのだけれども、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、「偽我の自分」が巧妙にそのようには思わせないようにする。

 

「偽我の自分」の抵抗は物凄く強力だから、何とかしようとしても、結局、「偽我の自分」で生きることになってしまう。

 

そうならないためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、「偽我の自分」を手放し、「自分を魂と捉えて命が永遠である。」と本当に思える自分になっていく。

 

真理はとてもシンプルなのだけれども、そう思わせないのも、「偽我の自分」による抵抗なのだね。

 

お釈迦さまの言葉で、「自己に勝つ者こそ最高の勝利者である。」とあり、「偽我の自分」⇒「真我の自分」で生きることだと思うけど、それほど、「偽我の自分」による抵抗は強力になる。

 

つまり、 1日、24時間、常に「真我の自分」に意識を向け続けることができれば、最高の勝利者となり、人生が全く違うものになるのだね。

 

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神のメッセージ 2

物事は一瞬の休みも無く常に変化

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁60『「流行」とは「流れて行く」と書くが、これは人の心が流れて行くのである。昨日まではこうゆう洋服が流行っていた。

 

でも一ヶ月もたったら、誰も着ていなかったとか、スカートが短い、長いとか、みんなの心が求めているものが、やがて忘れていって消えていく。

 

人の心をきちんと見ていなければ、例えば、今これが流行っているからといってそこに投資したら、後で大損害を被ったりということもあるのである。

 

人の心を見ることを川でいうなら、上流を観ることである。

 

今ここに流れていることばかりみていたら、あっという間に下流に流れて行ってしまう、ということである。

 

これを仏教で言うなら「無常」という。

 

常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているということである。』とある。

 

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常に物事はひとところに無く、一瞬の休みも無く常に変化しているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、頭にインプットされた固定化されたもので、目の前の物事を判断することになるが、それでは上手くいかない。

 

目の前の物事の変化のスピードに、有限な判断基準では、対応しきれないのだね。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、宇宙全体の一つの意識に繋がり、そのことによって、目の前の物事に対して、瞬間、瞬間の判断が、頭による考えではなく、直感的に湧き上がって来る。

 

それに沿って動くことで、全てが上手くいき、人生が素晴らしくなっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2