心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁64『蓮は、泥沼の中に花を咲かせる。
泥沼の中に咲くからこそ、蓮の花はきれいに見えるのである。
人は、世俗の苦しみの中で生きている。
しかし、その中にこそ、本当に悟れるチャンスがあるのだ。
泥沼があったからこそ、蓮の花が大きく咲くことができたと捉えると、泥沼さえも肯定することができるのだ。
泥沼も、蓮の花が咲くのに必要だったのである。
世俗の苦しみは、決して悪いことではないのだ。
苦しみや悩みがあったからこそ、悟りを得ることができたとすれば、その苦しみも必要なことだったと捉えることができるのだ。』とある。
泥沼があったからこそ、蓮の花が大きく咲くことができたと捉えると、泥沼さえも肯定することができるのだね。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、インプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)に基づき、自分や相手を裁き続けることになり、本当に自分や相手を認めることができない。
エネルギーが消耗して、視野が狭く偏った物事の捉え方になり、上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。
やり続けることで、エネルギーの消耗が無くなり、心の中が澄んでくる。
自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。
豊かな自分で在り続けることで、目の前の現象に振り回されることなくなる。
重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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