思考の枠を超えた結果が起きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁20に、『今の自分のままであると、未来はどうなるかということの予想は大体できる。

 

今までの思考から発する言葉の結果は、今までの延長線上にしかない。

 

訓練して、思考をコントロールしたとしても、思考の枠を超えた結果は期待できない。

 

しかし、真我の覚醒は、それを超越するのである。

 

真我に目覚めたら、自分の頭では到底予想もつかぬ結果が引き起こされる。

 

今まで、時間とともに前へ前へと進んできたものが、ポーンと上にワープして、まっかく新しい地点からスタートするのである。

 

意識次元が上昇して、新しいその次元の世界が繰り広げられ、今までの世界が消えるのである。

 

自分を取り巻く人、物は何も変わっていないのに、違う世界を生きることができるのだ。

 

その式次元は無限にあり、どこまでも上昇することができる。』とある。

 

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真我に目覚めたら、自分の頭では到底予想もつかぬ結果が引き起こされるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、偽我の自分をベースとした、個体意識からの発想となって、宇宙からすると不調和な生き方になってしまっている。

 

そのため、目の前には、不調和な現象が引き寄せられてくる。

 

悩みや苦しみが生じたら、不調和な自分に気づくことが大切だね。

 

その気づきによって、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

自分は自分で生きているのではなく、宇宙に生かされている、もともと調和した存在なのだと思えてくる。

 

自分の内側からのエネルギーを感じて、もともと豊かな自分に気づいていく。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3 

 

 

根本原因は潜在意識にある記憶

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁18に、『目に前に引き起こされている現象は、すべて、根本原因と環境原因から成っている。

 

根本原因とは、その人の潜在意識にある記憶である。

 

一方、環境原因は、自分を取り巻く人やモノである。

 

現象を変えるには、根本原因を主にしつつ、要因と思われる環境原因も、ともに変えていくことである。

 

自分が真我に目覚めても、今までと同じ環境では、もとに戻ってしまう可能性が高い。

 

自分とともに周囲も真我に目覚めたり、常に真我に触れる環境を作ったりすることで、現象はどんどん変化してく。

 

病気という現象が表れている時も、自分の真我の目覚めと同時に、自分がストレスと感じている環境から離れてみることも一つの手段である。

 

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目に前に引き起こされている現象は、潜在意識にある記憶、自分を取り巻く人やモノから成っているのだね。

 

自分でも分からないような記憶の影響を受けている。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、その影響を強く受ける。

 

分かっていても同じような失敗を繰り返してしまったりするのは、その影響なのだね。

 

潜在意識にある記憶からの囚われを外すには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、心の中の想念や妄想が静まり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づいていく。

 

常に豊かな自分でいることで、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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図解 神のメッセージ3

魂の底からの深い感謝や喜び

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁16に、『因と縁が反応して、果になる。

 

ということは、因が変われば、果が変わるということである。

 

チューリップの種は、どこに植えようがチューリップにしか咲かない。

 

では、私たちの人生も既に決まっているのかというと、実は人の因は変えられる。

 

根本原因である記憶の塊は、その奥になる真我を引き出すことによって、自由に変えることができるのである。

 

真我とは、私たちの一番深いところに内在している、宇宙意識、神意識のことである。

 

これを引き出すと、魂の底からわきあがる深い感謝や喜びを感じる。

 

そしてさらに、それより浅い部分にあった記憶である根本原因が変わる。

 

例えば、根本原因である心が両親を恨んでいたとしても、真我は究極の愛の心であるから、愛と感謝に変わってしまうのである。

 

感謝と恨みは、同居できない。

 

闇と光は同時に存在できないのである。

 

真我は、原因も結果もない世界であるから、すべてを光に変えることができる。』とある。

 

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真我を引き出すと、それより浅い部分にあった記憶である根本原因が変わるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)である心と肉体に意識が向いていると、真我に気づくことはできず、過去の記憶に囚われたまま生きることになる。

 

幸せは偽我の願望を成就することだと思い込んでしまい、その勘違いに一生気づくことはできないのだね。

 

本当の幸せは真我を引き出すことであり、そうなれば今この瞬間から、魂の底からわきあがる深い感謝や喜びを感じながら生きることができる。

 

そのためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

やり続けることで、真我の光がどんどん増してくる。

 

そして、過去の記憶の闇が光に変わっていく。

 

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図解 神のメッセージ3

両親の影響はとても強い

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁14に、『両親との関係は、人生に大きな影響を与える。

 

なぜならば、両親との関わりの中に、根本原因と環境原因どちらも入っているからである。

 

人は、生まれたときから、両親の遺伝子の記憶を引き継いでいる。

 

また成長の過程で、両親の言動や育てられ方が記憶として残っていく。

 

さらには、前世の記憶も織り込まれて生まれてくる。

 

そのように膨大に蓄積されたものが、あなたの中にある根本原因である。

 

いわば、根本原因は、命という縦の環境の中で培われてきたものである。

 

一方、その時代を過ごす、いわば時間という横の環境で起こることが環境原因となる。

 

兄弟、友人など、様々な人と時間を共有するが、一般的には両親との時間が一番長い。

 

因(根本原因)が反応して果(現象)となり、その果は次の因となっていくのである。

 

このように、両親の影響はとても強いのである。』とある。

 

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人は、前世の記憶も織り込まれて生まれてくるのだね。

 

自分でも分からないような、その記憶がインプットされていて、自分の中の基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)になり、その基準に囚われて生きてしまうことになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)である心と肉体に、意識が向いていると、その基準の囚われが強固なものとなって、宇宙からするとどんどん不調和な存在になっていく。

 

例えば、何々の法則で、偽我の自分の願望を成就させようと、頑張れば頑張るほど不調和になり、仮にその願望が成就できたとしても、後からバランスを取るための反動が来るのだね。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

偽我の自分の願望の成就ではなく、自分の内側から湧き上がるエネルギーを高めていく。

 

そこからの発想で生きることで、もともと豊かな本当の自分(真我)に気づいていく。

 

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図解 神のメッセージ3

心の中に根本原因がある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁12に、『Aさんとはとても馬が合うし仲良くできる。


ちょっとしたことがあっても、よい関係でいることができる。


一方、Bさんとは、会えば、すぐに言い合いになってしまう。


だから、Bさんとは関わらないようにするということで解決するのかというと、それは表面的なことにすぎない。


AさんやBさんでなくても、同じようなタイプと出会うと、あなたの心はいつでも同じように反応して、同じような結果になってしまうのである。


あなたの心の中に根本原因があるからである。


AさんやBさんが、現れようが現われまいが、あなたの心の中には、そのタイプはうまくいく、反対に苦手という因があるのである。


それが、表に現れるかどうかは、外界の縁が訪れるか否かということである。


因(タネ)である根本原因が、縁という環境原因と反応して、結果となるのである。』とある。


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AさんやBさんでなくても、同じようなタイプと出会うと、あなたの心はいつでも同じように反応して、同じような結果になってしまうのだね。


心に従って生きると、心の反応に振り回されることになる。


その心の反応は、心の中の根本原因によるもので、思い通りにはならないのだね。


心の反応に振り回されずに生きるには、その心を超えていくことになる。


そのためには、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。


偽我の自分に意識をが向いていると、心の反応に振り回される。


だから、心の反応に振り回されたら、偽我の自分に意識が向いているから、本当の自分(真我)に意識を向ければ良いと気づくことだね。


そして、直ぐに本当の自分(真我)に意識を向ける。


やり続けることで、心を超えていくことができ、目の前の現象を適切に捉えることができるようになっていく。


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図解 神のメッセージ3



囚われの無い世界を生きる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁120に、『あなたは、「愛という言葉の反対語は何でしょう」と問われたら何と答えるだろうか?

 

普通は、「憎しみ」とか「恨み」と答えるはずである。愛には、「執着の愛」と、「放つ愛」がある。

 

「執着の愛」とは、自分のものにしようという、エゴから来るものである。

 

「放つ愛」はまさに宇宙の愛、神の愛である。

 

「執着の愛」の反対語は「恨み、憎しみ」かもしれないが、「真我の愛、本当の愛」の反対語は「価値観」である。

 

「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の「価値観」同士が対立して争いが起きるのである。

 

本当の愛は、全ての価値観を包括した、囚われの無い世界である。』とある。

 

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「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の「価値観」同士が対立して争いが起きるのだね。

 

幸せになるためには、今、持っている願望を成就することだと思い込んで、頑張ってしまっているとしたら、どんどん不調和になっているかもしれない。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)の願望は、個体意識からのものであって、仮にその願望が成就したとしも、後からバランスを取るために、偽我の自分にとって不都合なことが、生じることになるかもしれないね。

 

偽我の自分を優先させると、目の前の現象に振り回され、悩みや苦しみの多い人生となってしまう。

 

そうならないためには、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。そうすることで、囚われていた価値観を外していく。

 

どんどん気分が軽くなっていく。

 

目の前の現象に振り回されることがなくなるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2

知らない世界が無限にある

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁118に、『よく「わかった」と言うが、本当にわかっているのだろうか?

 

あなたが一度も聞いたことも、食べたことも無い料理があったとする。

 

その料理の原材料や調理過程など事細かに聞いて、どうですか?とメニューを出されたとき、「わかりました」と言った人は、一番分かっていない人である。

 

もう少し分かった人は「わかりませんよ、食べていませんか・・・」と言う人である。

 

そして本当にわかった、というのは、その料理を実際に口にして「私の味覚でわかりました」と言う人である。

 

これを真我の追求で言うと、真我はこうですよ、という概念を頭で理解したところがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのである。

 

そして、真我は宇宙であり無限だから「ここまで分かった。でも、更に自分の知らない世界がこの先に無限にあるんだ」という姿勢が大切である。』とある。

 

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真我はこうですよ、という概念を頭で理解したころがわかったではなく、体感し、そしてそれが現実に現れてきて初めて「わかった」なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている偽我の自分で、「ああだ」「こうだ」と頭でいくら理解しても、偽我の自分で捉えていることに変わりなく、個体意識からの発想を抜け出すことはできない。

 

自分は自分で生きているのだと言う思いが強く、偽我の自分にインプットされた基準(固定観念、価値観、先入観、思い込み、拘りなど)で、目の前の物事を捉えることになる。だから、相手や自分を裁く心が常にあるのだね。

 

その基準の囚われが強固なので、いろいろ認めることができない。

 

とても息苦しい生き方になり、喜ぶことでさえ、その基準をクリアしなければと思い込んでしまっている。

 

偽我の自分が思っている通りになることで、幸せになれると思い込んでしまっているのだね。

 

では、どうしたら良いのだろうか?

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、自分は自分で生きているのだと言う思いが薄れて、自分は宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

自分の内側からの湧き上がってくるエネルギーを感じることができ、常に満たされた自分に気づくことができる。

 

目の前の物事を素晴らしく捉えることができるようになってくるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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神のメッセージ 2