意識が融合に向けば自然に調和する

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁70『私たちは、親と子、夫と妻、あなたと私というように、分離して考える。

 

しかし、本当は、もともとひとつなのである。

 

分離して考えると、そこには損得の意識や優越の意識が芽生えてしまい、そこから悩みや苦しみが発生してしまうことになる。

 

子は親から生まれて、親の遺伝子を明らかに引き継いでいるわけだから、遺伝子のつながりとしてひとつとも言える。

 

命のバトンを引き継いで、一本の線の上を走者を変えて走っているのである。

 

夫と妻は、先祖の魂を後世につなぐ伝達者であり、延いては人類の命をつないでいくための役割を担っている。

 

あなたも私も、そのように同じ背景を与えられて、この世に生まれてきて、また役目を果たしていくのである。

 

そのように命という観点に焦点を当てると、全体と個の融合が私たちの生きる指針であることに至る。

 

分離しているように見える個は全体の一部であり、全体はその意識を個という役割によって成り立たせているのである。

 

個の意識が分離に向けば全体は不調和になり、逆に融合に向けば自然に調和が訪れる。』とある。

 

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分離して考えると、そこには損得の意識や優越の意識が芽生えてしまい、そこから悩みや苦しみが発生してしまうことになるのだね。

 

自分とは自らを分けるという意味なので、自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、分離して考えることになり、悩みや苦しみの多い人生となってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、自分は自分で生きているという思いが薄れて、自分は宇宙に生かされている存在だと、だんだん思えてくる。

 

さらに、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、自分の内側がエネルギーで満ちてくると、このエネルギーこそ生命の本質なのだと思えてくる。

 

重苦しかった気分は軽やかとなり、物事の捉え方は素晴らしく変わっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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図解 神のメッセージ3

視野を広げてより深い考えをする

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁68『使命というと、社会的な職業に結び付けて考えてしまいがちであるが、ここで言う使命とは、もっと根幹的な命の部分での使命である。

 

両親がいて、その上にまたそれぞれの両親がいて、その上にまた両親がいてとたどっていくと、人類創成にまで至って自分の命がここにあるということに、今更ながら気づく。

 

その命という観点から、自分が今ここに在るということを見ると、使命というのは、単なる職業や立場を超えたところにあるということを発見できる。

 

個人として、日本人として、男あるいは女として、人間として、地球人としてと、視野を広げてより深い考えをすると、あなたという命の使命は、あらゆる次元に存在することがわかる。

 

そして、自分という個が全体であるということにも気づくのである。』とある。

 

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命という観点から、自分が今ここに在るということを見ると、使命というのは、単なる職業や立場を超えたところにあるということを発見できるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識できるものだけが全てである前提で発想するので、物事の捉え方が部分的で偏ったものとなる。

 

そのため、目の前の現象に対する判断が不適切となり、上手くいかなく、悩みや苦しみの多い人生となってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、重苦しかった気分が軽くなっていく。それに伴って、物事をより全体から捉えられるようになっていく。

 

一瞬、一瞬の判断が適切なものとなり、物事がうまく運ぶようになっていくのだね。

 

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図解 神のメッセージ3

老若男女問わず最も安全で楽な道

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁66『強い人というと、競争に勝つ、力が強い、弁が立つなど、相手を負かすイメージを持つが実はそうではない。

 

人とぶつかって、力で勝つ方法では、敵を作りやすい。

 

負けないように、いつも自分を権力や言葉や金などで武装していなければならないだろう。

 

これは、自分自身が一番つらい、いばらの道である。

 

そうではない最も良い方法は、相手を受けれることである。

 

受け入れるということは、相手の言う通りのことをやるということではない。

 

相手の良いところを見つけて、心から認めて讃えるのである。

 

自分を認めてくれたときに、人は心の扉が開く。

 

そうしたら、相手は、自然と自分から行動するようになるのだ。

 

老若男女問わず、人はそのようにできている。

 

一切のトラブルがなく、力もいらない、最も安全で楽な道なのである。』とある。

 

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自分を認めてくれたときに、人は心の扉が開くので、相手は、自然と自分から行動するようになるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分にインプットされた基準(価値観、固定観念、先入観、思い込み、拘りなど)に基づき判断するので、自分を裁いたり、相手を裁いたりするので、自分や相手を認めることができない。

 

絶えず「こうしなければならない。」「ああしなければならない。」などの葛藤があり、とてもエネルギーを消耗する生き方になってしまう。

 

その結果として、心の奥底がエネルギー不足になって、それを満たすために、自分の外側への欲望が生じることになる。

 

仮に欲望が叶えられても、心の奥底のエネルギー不足は解消されないので、また新たな欲望が生じて、この欲望は尽きない。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでいく。

 

心の中が混乱によってエネルギーを消耗したことは、心の中が澄み切ってきた時に気づくことができる。

 

自分の内側がエネルギーで満ちてきて、豊かな自分に気づくことができる。

 

豊かな自分で在り続けることで、自分の外側への欲望は自然に無くなり、目の前の現象に適切な判断ができるようになっていくのだね。

 

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宇宙の全てと調和し元々ひとつ

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁64『自分を何と認識するか。人位は、肉体としての人、神体(しんたい)としての人がある。

 

肉体の人とは五感で捉える人である。

 

姿形、表情、声などで認識することができる。

 

もう少し深い捉え方をするのが霊体としての人である。

 

これは心、性格などとして捉えられるものである。

 

自分の本体を肉体として捉えると、自分はお金持ちだから優越感を感じるとか、自分は病気だから自信がないというような捉え方をする。

 

あるいは自分を霊体として捉えると、こんなに尽くしているのにわかってくれないとか、人見知りの自分はだめだと烙印を押してしまったりする。

 

人を肉体や霊体で捉えるということは、自分のセンサーが基準になるから、自分の認識の枠内でしか物事を見ることができない。

 

社会の価値観や教育されてきたことから外れていると、認めることができないという可能性がある。

 

では、どうしたらよいかというと、自分を神体として捉えるのである。

 

生まれながらにして宇宙のすべてと調和し、自分の周りのものと、もともとひとつであるという完全完璧であるという視点で見るのである。

 

頭で思えなくてもそれで押し通していけば、その方向に進んでいくのである。

 

なぜなら、それが真理であるからである。』とある。

 

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生まれながらにして宇宙のすべてと調和し、自分の周りのものと、もともとひとつであるという完全完璧であるという視点で見るのだね。

 

5感で認識したものが全てであるとしていると、自分が自分だと思い込んでしまってる自分(偽我)に意識が向いていて、自分は自分で生きているという思いが強くなってしまう。

 

社会の価値観や教育されてきたことでしか、物事を判断することができなく、それは部分的な偏った捉え方となるから、上手くいかなくなる。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中がだんだんと澄んでくる。

 

エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側がエネルギーで満ちてくると、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

重苦しかった気分が、軽やかなものとなり、物事の捉え方が素晴らしくなっていくのだね。

 

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図解 神のメッセージ3

 

先祖の絶大なる魂の後押しを受ける

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁62『よく、「子はかすがい」という言葉を使うが、実は先祖がかすがいである。

 

私たちは誰一人例外なく、両親から生まれ先祖がいる。

 

表面的にどう見えようが、両親も先祖も、子孫の繁栄を願わないものはいない。

 

目に見えなくても先祖は魂の応援をしているのである。

 

そして、その子孫の伴侶の幸せはどうでもよいということはないのである。

 

なぜなら、命が男と女の双方がいてつながっているという真理は、誰も否定できないからである。

 

自分の先祖は、自分の夫を、妻を、応援してくれているのだ。

 

同時に、夫の、妻の先祖は、自分を応援しているのだ。

 

夫は妻の、妻は夫の先祖の絶大なる魂の後押しを受けているのである。

 

男と女は、実は、先祖がかすがいなのである。』とある。

 

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両親も先祖も、子孫の繁栄を願わないものはいなく、目に見えなくても先祖は魂の応援をしているのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分は自分で生きている思いが強く、5感で認識できるものが全てであるという思い込みから抜け出して発想することができない。

 

そのため、部分を捉えて、全体を把握したつもりなって、判断することになり、上手くいかなくなる。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想が静まり、心の中が澄んでくる。

 

自分の内側でのエネルギーの消耗が無くなることで、自分の内側がエネルギーで満ちてくる。

 

この満ちたエネルギーによって、自分は宇宙に生かされている存在であり、このエネルギーは永遠なのだと思えてくる。

 

さらには、5感で認識できるものは常に変化し続けているが、この永遠なる変化することのないエネルギーにこそ価値があるのだと思えてくる。

 

エネルギーに満ちた豊かな自分から発想することで、物事の捉え方が素晴らしくなっていくのだね。

 

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すべてを活かしながら調和していく

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁60『無敵というのは、あなたが万能であるということではない。

 

むしろ、自分が何もできないことを認めたときに無敵になる。

 

自分の弱いところ、苦手なことが得意な人を、認めて助けてもらう。

 

そうしたら、他人の良いところがたくさん見えてくる。

 

その良いところを活かそうとする。

 

そうすると、その相手が活きてくるということになる。

 

そのようにしていくと、自分一人では到底できなかった大きなことができるようになってくる。

 

自分ができないということは、相手を活かすことであり、相手への感謝と尊敬の念が自然と出てくる。

 

自分の弱さを認めて、他の力を活かしていくことが無敵の世界である。

 

誰かを傷つけたり我慢したりせずに、すべてを活かしながら調和していく世界なのである。』とある。

 

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自分の弱さを認めて、他の力を活かしていくことが無敵の世界なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分は自分は生きていると思いが強く、自我による発想にハマってしまっている。

 

自己防衛の重苦しい世界を生きることになる。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、自分の内側がエネルギーで満ちてくると、自分は自分で生きているのではなく、自分は宇宙に生かされている存在なのだと思えてくる。

 

そこから発想することで、自然に自己防衛によるものは無くなり、周りと調和していくことができる。

 

重苦しい日々ではなく、軽やかな日々を生きることができるようになっていけるのだね。

 

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愛と感謝が出てきた時に無敵になる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁58『無敵というのは、力が強かったり、経済的に成功していることを言うのではない。

 

無敵というのは、自分を含めたすべての人を無条件に愛し感謝することである。

 

相手からもらうのではなく、自分が相手に与えることである。

 

自分のためだけに仕事をしたり、人とつき合ったら、相手とぶつかる。

 

相手が自分の思い通りにならないからといって、そこで力でねじ伏せようとしても相手は反感を持つだけである。

 

一時的に従ったとしても、心の中では恨んでいることもあるだろう。

 

無敵というのは相手を倒すことではない。

 

競争して勝つことではない。相手より優れていることでもない。

 

無敵というのは、どこに行っても、あなたが合いさて、歓迎され、調和することである。

 

あなたが相手に与えることである。

 

あなたの中から愛と感謝が出てきたときに無敵になる。』とある。

 

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無敵というのは、自分を含めたすべての人を無条件に愛し感謝することなのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、肉体という個体をベースにして発想してしまうので、どうしての自我に基づくものとなってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

無欲で淡々とやり続けることにより、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。

 

目の前の現象に勝って反応してしまうこと、嫌な思いが湧き上がってくることが、少なくなってくる。

 

仮に、嫌な思いが湧き上がってきても、それを相手にして膨らませることなく、俯瞰して「あっ、出てきたね。」として流していく。

 

嫌な思いに意識を向けると、そこにエネルギーを注ぐことになり、エネルギーを消耗するので、ますます落ち込んでしまうのだね。

 

そうすることをしなくなると、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができ、軽やかに生きることができるようになっていくのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。 

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図解 神のメッセージ3