総てのものは天からの預かりもの

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ」の頁118『愛には、執着の愛と放つ愛がある。

 

執着の愛とは、自分のものにしないと気が済まないという思いである。

 

子どもの妻も、総て自分のものにしようという思いである。

 

総て自分から出発している。

 

親が、このような発想で子どもと接すると、子どもの自立心を奪ってしまう。

 

未成年者のいろいろな問題は、執着の愛か、愛の不足が原因である。

 

これに対して、放つ愛は、子どもに「こうなって欲しい」という願望を持たない。

 

子どもが自然にイキイキできるように向けていくのだ。

 

総てのものは天からの預かりものであることを自覚できれば、愛を放つことができるのである。』とある。

 

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総てのものは天からの預かりものであることを自覚できれば、愛を放つことができるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、5感で認識しているものが総てであると捉えて、自分は自分で生きていると思いが強くなっている。

 

その思いが強烈な分離意識、個体意識となって、自分という個体を中心として、さまざまなものを比較する思考に囚われる。

 

その結果として、自分や相手を裁き続けて、とてもエネルギーを消耗して、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。

 

そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。エネルギーの消耗が無くなると、自分の内側がエネルギーで満ちてきて、体を通して自分はこのエネルギーによって、宇宙に生かしていただいている存在なのだと思えてくる。

 

自分の内側がエネルギーがどんどん高まることで、消えることがない豊かさに包まれて、自然に視野が広がりより全体から物事を捉えるようになってくる。

 

変化して消えてしまうのには価値が無く、変化しないものにこそ価値があると思えてくる。

 

目の前の変化して消えてしまう現象に振り回されることなく、軽やかに生きることができるようになっていけるのだね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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