病気はスクリーンに映った結果

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁86『病気になるのには、必ず原因がある。

 

たとえば、ガンという病気がある。

 

ガンになるには、ガンになる根本原因が明らかにあるのである。

 

それは何かというと、病気になるような心の在り方、記憶である。

 

人を恨んだり、憎んだり、あるいは自分を責める気持ちが強いと、その不調和が、ガンという体の不調和を引き起こしてしまうのである。

 

聞きたくないことばかりを言われる環境にいたら、体がそれに反応して、難聴現象として現れたりするのである。

 

いわば、病気はスクリーンに映った結果である。

 

これには必ず、フィルムである原因がある。

 

これらを治そうとするとき、表面的にレーザーでガンを退治しただけでは、しばらくするとまた現れる可能性が高い。

 

結果だけを変えようとしても一時的なものであるから、その根本原因に手をつけなければ、同じことが繰り返されるのである。

 

病気の治療には、根本原因の改善を主にするのである。』とある。

 

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人を恨んだり、憎んだり、あるいは自分を責める気持ちが強いと、その不調和が、ガンという体の不調和を引き起こしてしまうのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分にインプットされた過去の記憶に基づき反応してしまうので、自分や相手を裁くことになる。

 

偽我の自分だから相手の偽我に反応するのだね。

 

自分の不調和な粗い波動は、相手の粗い波動と共振共鳴し、類は友を呼ぶことになっている。

 

人はもともと不調和ではなく調和している存在なのだから、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、粗い波動から精妙な波動に変化していく。

 

心の中の想念や妄想による混乱が静まって、心の中が澄み切ってくると、エネルギーが満ちてくる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、自分の外側への欲望は自然と無くなっていき、物事の捉え方に偏りが無くなっていく。

 

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図解 神のメッセージ3

 

過去の因縁を断ち切る重要な役割

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁84『夫の先祖を、妻の先祖を、自分の先祖以上の気持ちで供養することは、とても重要なことである。

 

命という縦のつながりは、自分の先祖だけで成り立っているものではない。

 

自分に父と母がいて、伴侶にも父と母がいる。

 

そのあなたと伴侶の間に生まれた子供は、4人の祖父、祖母がいることになる。

 

自分の父母は敬うが、伴侶の父母はどうでもよいとなると、自分の子供を否定することになるのである。

 

伴侶の先祖を心から扱うと、親、夫婦関係、こども、孫、あなたそのものともいえるこの縦の環境が劇的に好転していく。

 

なぜなら、心の世界はつながっているからだ。

 

この世に生を受けたあなたは、過去の因縁を断ち切る重要な役割を担っているのである。

 

その事実を受け止め、この世に生まれた使命を果たすために、先祖は総動員であなたの背中を押している。

 

この宇宙の真理に気づくこと、これこそがもっとも強力な、たすきがけの先祖供養である。』とある。

 

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この世に生を受けたのは、過去の因縁を断ち切る重要な役割を担っているのだね。

 

縦の環境を劇的に好転させていくためには、心の中の状態を良くしていく。

 

心に振り回されるのでなく、心を徹底的に俯瞰して見続け、心の状態を把握していくことで、さまざまな気づきが生じるね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのでなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続ける。

 

そうすることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まって、心の中が澄み切ってくると、自分の内側がエネルギーで満ちてくる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

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図解 神のメッセージ3

 

やってみて、反応を見て、合わせる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁82『人は、何かをしようとするときに、設計し計画を立てて、まずシステムを作ってから、その中に事柄を当てはめようとしがちである。

 

しかし、このやり方では、意図しない出来事が起きてしまうと、システムありきになって対応ができなくなる可能性がある。

 

特に新しいことを始めようとするときには、頭の世界で考えた通りにしようとしても、人や社会の反応はその通りにいかない場合が多い。

 

本来は、まずやってみる。

 

そして、やってみた結果をシステムにしていくのである。

 

子供を育てる場合も、育児書の通りにならない。

 

一般常識や自分の考えをはずして、子供の反応を見ながら、それに対応していけばよいのである。

 

そこに、価値観や固定観念が先に来るから、ちぐはぐになるのである。

 

万事おいて、まずはやってみる、反応を見る。

 

それに合わせる。

 

これをやっていけば、矛盾は起きないのである。』とある。

 

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万事おいて、まずはやってみる、その反応を見て、それに合わせることををやっていけば、矛盾は起きないのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、自分にインプットされている価値観や固定観念をベースに発想するから、我が出てしまい上手くいかない。

 

もともと誰もが調和している存在なのだから、価値観や固定観念が無ければ上手くいく。

 

そのためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

個からではなく全体から、物事を捉えることができ、自然と調和していくことになる。

 

調和のエネルギーが高まり、常に豊かな自分で在り続けることができるね。

 

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図解 神のメッセージ3

 

 

 

心を最速で浄化する瞑想を続ける

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁80『人間はみな等しく真我の存在である。真我とは、宇宙意識、内在する神、全体意識、歓喜、あるいは愛と感謝の心、仏心などと表現できる。

 

真我は、人間のもっとも奥深い部分に内在するただひとつの実相であり、それより浅いブブに無限の意識次元が存在する。

 

あの人は意識が高い、この人は意識が低いという言い方をするが、意識が高くても低くても、その中間でも、人間は等しく真我なのである。

 

意識の高い人が優位で、低い人は劣るわけではない。

 

みな、過程なのだ。

 

今、どの意識次元で生きていても、それは一つの過程であり、変化していく可能性があるのである。

 

しかしながら、どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのである。』とある。

 

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どの次元であっても、その奥にある普遍の真我が、我々の本体なのだね。

 

葦原瑞穂(著)黎明 下巻の頁211『瞑想に関して初心者が陥りやすい間違いとして、例えば「私は生命で在る」と言うような、真理を表す言葉に一心集中しようとする試みが挙げられます。

 

これがもし「私は生命で在る」と言う、実相に基づく自覚に一心集中するのであれば何ら問題はないのですが、自我意識では、この言葉から実体のないひとつの観念を造り出すだけですから、一心集中という行為が、実相ではないものを見詰めているだけで、自我の迷いを強化する作業になってしまうことがあるわけです。

 

しかも観念は相対世界に属するものですから、対立するものとして「私は生命ではない」という観念もあり、一方を排除して他方に集中しようとすれば、そこには戦いが生じることになって、この葛藤を演じている自我の活動そのものが、普遍意識の展開を妨げてしまうわけです。』とある。

 

真我に意識を向けるための真我瞑想が、真我が観念となっていては、偽我に意識を向けるための偽我瞑想になってしまい、これでは偽我の意識を強化しているので、とても危険なのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、浄化作用により肉体に流れる生命エネルギーを感じることができるようになってくる。

 

既に感じられるのであれば、その流れが強まっていく。

 

自分の内側の生命エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができ、常に豊かな自分で在り続けることができるね。

 

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図解 神のメッセージ3

【新版】黎明 下巻

もっとも良き判断が瞬時にできる

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁78『なかなか恋人ができない、結婚ができないという人には、心の門番がいることが多い。

 

心の門番というのは、相手が現れても、この人は違うと追い払ってしまう、心の作用のことである。

 

例をあげると、以前交際していた人に騙されたり、裏切られたりしたことがあるとしたら、もう二度と同じ目には遭わないと、相手が現れてもバリアを張ってしまうということがある。

 

本当は、その人は以前の人とは違うはずなのに、心がそのように作用してしまうのである。

 

また、悪い経験ばかりが門番になるのではない。

 

以前交際していた恋人が、とても魅力的な人で、声や表情や立ち居振る舞いが素敵だったとしよう。

 

そうすると、次に現れた人を、無意識に、ここが違う、あそこがなっていないと、以前の恋人と比べてしまう場合がある。

 

このように、自分にとって良い出来事と思われることも、門番になってしまう可能性があるのである。

 

心の門番を取り払うには、真我で物事を見ていくことだ。

 

真我で見ると、過去の出来事に振り回されることなく、今、もっとも良き判断が、瞬時にできるようになるのである。』とある。

 

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真我で見ると、過去の出来事に振り回されることなく、今、もっとも良き判断が、瞬時にできるようになるのだね。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶の囚われて、目の前の現象に振り回され続けることになる。

 

心の中が想念や妄想で混乱していて、自分では分からないエネルギーの消耗が生じていて、そのことが何か満たされない思いとなっている。

 

その不足感が自分の外側への欲望となり、仮に欲望が叶えられたとしても、不足感は解消されず、また新たな欲望が生じて、その欲望は尽きないのだね。

 

偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、心の中の想念や妄想を静めていく。

 

心の中が澄み切ってくると、エネルギーの消耗が無くなり、エネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、自分の外側への欲望は無くなって、物事の捉え方が素晴らしく変わっていく。

 

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図解 神のメッセージ3

やったことはすべて成功

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁76『私たちは物事が起こると、それに一喜一憂する。

 

感情や価値観に振り回されて、これは良いこと、これは悪いことと受け止めてしまう。

 

しかし、本来、その事象には良いも悪いもない。

 

良いと判断する土壌があなたの中にあるから、良いこととなり、逆に悪いと判断する土壌があるから、悪いこととなるのである。

 

起きている事象そのものには、本来、意味はないのだ。

 

そのような結果になる原因があったから、その事象が起きているだけである。

 

その結果がどうであれ、それらはすべて学びであり成功である。

 

失敗、成功と捉えるものも、ひとつの捉え方に過ぎない。

 

たとえば、失敗と思ったことから学んだものはすべて成功になるではないか。

 

やったことはすべて成功なのである。』とある。

 

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起きている事象そのものには、本来、意味はないのだね。

 

それにも関わらず、目の前の現象に振り回されるのは、自分にインプットされているものに囚われていて、それに基づき反応してしまうからになる。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、その囚われがますます強固なものとなってしまう。

 

悩みや苦しみが多い生き方になってしまうね。

 

そうではなく、軽やかに生きるには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることだね。

 

心の中の想念や妄想による混乱が静まって、心の中が澄み切ってくると、自分の内側のエネルギーが満ちてくる。

 

もともと豊かな自分に気づくことができ、豊かな自分で在り続けることができる。

 

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図解 神のメッセージ3

 

自分自身が限界を作っている

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ3」の頁74『人は誰しも、自分の成長を望んでいる。

 

成長とは、教えや考えという知識を増やすことではない。

 

本当の成長とは魂の成長のことを言う。

 

一枚一枚、薄皮を剥ぐように、昨日まで自分ができなかったことを、今日はできるようになることである。

 

人は、自分自身が限界を作っているのである。

 

仕事に喩えて言うと、上司にはこんなことを言っても通じないだろう、おのお客様はこの商品を必要としていないだろう、クレームのお客様はもう買ってくれないだろうなど、自分の経験や思い込みで枠を決めてしまうのである。

 

その枠を超えていくことが自分の成長である。

 

上司やお客様について、相手が悪いと言っていたら、あなたの人生は他人に委ねているということになる。

 

自分の人生は自分で決めてよいのである。

 

今日までここまでできたのだから、明日はもっとそれ以上のことができる。

 

自分の周りに起こることは、すべてがチャンスなのである。』とある。

 

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自分の経験や思い込みで決めてしまった枠を超えていくことが自分の成長なのだね。

 

目に見えない意識を目に見える肉体に閉じ込めてしまう必要はないのだけれど、5感の認識に基づき、自分自身が限界を作ってしまっている。

 

自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることで、自分自身が作ってしまった限界を超えていく。

 

心の中の想念や妄想が静まって、心の中が澄み切っていくと、エネルギーが満ちてくる。

 

もともと豊かな自分に気づくことができ、自分の外側への欲望が無くなっていく。

 

常に豊かな自分で在り続けることで、物事の捉え方が素晴らしく変わっていくね。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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図解 神のメッセージ3