捉える世界の様々な段階

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁46に、『私たちが捉える世界には様々な段階がある。

 

「知る」という世界は、知ったことを基準にしていくので、長所としては「誠実である」ということである。

 

例えば科学者の姿勢は、同じ実験を繰り返して、実証を重ねたことを発表していくという誠実さがある。

 

しかし、欠点は「知らないことは認められない、見えないものは認められない」ということである。

 

「信じる」世界の長所は、「早い、時間がかからない」ということである。

 

そのことを知ろうが知るまいが、「私はあなたを信じます」と思えた瞬間に、相手の全容を受け入れられたことになる。

 

しかし、欠点は「盲目」になる可能性があるのだ。

 

信じた相手が詐欺師だったらどうなるか?

 

間違った方向を信じ込んでしまう可能性があるのだ。』とある。

 

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私たちが捉える世界には様々な段階があるのだね。

 

自分自身をどのように捉えているかにも、いろいろな段階がある。

 

梵我一如 - Wikipedia

 

ステップ1 : 心と肉体である偽我を自分だと思い込んでいる

 

ステップ2 : 頭で自分は真我だと理解している

 

ステップ3 : 自分は真我なのだと思おうとしている

 

ステップ4 : 自分は真我だとしか思えなくなっている

 

ステップ5 : ステップ4の思いも消え、真我一如(梵我一如)となる

 

このように整理してみると、やはり、本当の自分(真我)で生きるには、心の中の想念や妄想の混乱を静めて、心の中を空っぽにしていくことなのだと 理解できるね。

 

もともと本当の自分(真我)なのだから、錯覚した生き方から、錯覚から目覚めた生き方になることになる。

 

ステップ5の状態に関して、黎明 上巻 頁77では、

 

【新版】黎明 上巻

 

『・・・地上で喜びや幸福といわれているものの一切が、色褪せたガラクタ同然のものとなり、それまでに造りあげてきたものの考え方や、最高の認識だと思っていた知識の全てが、極めて制約された視野の中で作られたものであり、間違ったものの見方であったことに気付きます。』とある。

 

ガラクタ同然とはいかなくても、本当の自分(真我)は永遠の命なのだとなったら、変化するものは、100年後、1000年後・・・は無くなってしまうので、変化するものを追い求める生き方は、錯覚した生き方なのだと理解できるね。

 

今日も本当の自分に意識を向け続ける。

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