原因である心に手をつける

心の学校 佐藤学長の「図解 神のメッセージ2」の頁30『映画を観ている時、もし気に入らない場面があったら、舞台に上がっていってスクリーンに映った映像に手をつけようとしても変わらない。

 

でも、後ろを振り向いて、映写機の中にあるフィルムを替えたら、一発で変わるのである。

 

しかし、私たちは、日常の生活の中で、ちょうど、映画のスクリーンを一生懸命変えようとしてる人がほとんどなのである。

 

私たちの目の前に起きる、あらゆる現象は、映写機の光がフィルムを通して映画館のスクリーンに映し出された映像のようなものである。

 

そしてフィルムにあたるのが、心である。

 

だから、目の前に気に入らない現象が起きているからといって、その現象そのものに手をつけるのではなく、まさに、原因である心に手をつけなくては、現象面は変わらないのである。』とある。

 

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目の前に起きる、あらゆる現象は、映写機の光がフィルムを通して映画館のスクリーンに映し出された映像のようなものなのだね。

 

心の中が想念や妄想で混乱していると、目の前の現象も混乱して、それに振り回される生きることになっている。

 

それによって、エネルギーが消費することで、常に心の奥底では満たされていない感覚があり、それを解消するために、自分の外側への欲望が生じることになる。

 

しかし、ある欲望が仮に叶えられたとしても、自分の内側は満たされることはないので、また新たな欲望が生じて、その欲望は尽きなく、本当の幸せには至らない。

 

本当の幸せになるには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。

 

やり続けることで、心の中が澄み切ってくると、目の前の現象にやたらと反応しまくり、それによって振り回されるようなことが無くなる。

 

重苦しい日々から、軽やかに生きることができるようになっていく。

 

今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。

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神のメッセージ 2