ヨグマタ相川圭子著 宇宙に結ぶ「愛」と「叡智」頁225に、『人は裁き合います。
それが世の中を正していくのには必要と思い、通常行われている考え方です。
しかし、イエス・キリストは愛を説きました。
こうした裁きより、愛が良い世の中にすると。
それはまったく新しい考え方でした。
なぜなら彼は、神と愛で一体となり、真理を悟ったからです。
もし、次元の高い、許す愛をみんなが持つことがてきたなら、尊敬し合う世の中となり、自分のよこしまな欲望を満足させるような、ハングリーな誤った欲望の心は起きず、また起きたとしても癒され、消えていく環境があり、さらに、差別される人も生まれないのです。』とある。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまう。何事にも上手くいかず、悩みや苦しみの多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。
やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。
エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。
心の中の混乱は、心の中が澄んでくることで、気づくもので、そうでなければ、この混乱に慣れ切ってしまっている。
だから、妄想などで、さらに心の中の混乱を酷くしてしまうことができてしまう。
それはとても危険で、エネルギーを酷く消耗させてしまうことになるのだね。
豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていく。
悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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