ヨグマタ 相川圭子 著 ヒマラヤ大聖者 愛の般若心経 頁31~32に、『人はある対象について、何か知りたいときには、それを体験するといちばんよくわかります。
ヒマラヤ秘教は内なる科学であり、生命の科学を体験するということです。
ヒマラヤ秘教はある意味で、未踏の地の宝探しと同じです。
宝が未踏の地にあるとの噂を聞いて、それを探し出すために、危険な場所を乗り越え、命をかけて向かうこともあるでしょう。
また外から対象を知っていくのが一般の科学であり、外から細かくわけて情報を集め、そして分析していきます。
科学はそのようにして、対象について知っていきます。
人類は遠いところのことを知ろうとして、性能の高い望遠鏡を作りました。
また極小なものを見ようとして、高性能の顕微鏡を作ったのです。
このように人類は、多くの労力を注いで、さまざまな対象のことを、いろいろと知ってきました。
しかし人類は、究極の存在については、いまだわからないのです。
ヒマラヤの聖者は、宇宙の源に何があるのか、そのことを知るために、すでに五〇〇〇年以上も昔に、自分の根源にそのベクトルを向けたのです。』とある。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたもに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまう。何事にも上手くいかず、悩みや苦しみ多い重苦しい生き方になってしまう。
そうならないためには、偽我の自分に意識を向けるのではなく、誰もに内在する究極の全体意識、本当の自分(真我)に意識を向け続けることになる。
やり続けることで、心の中の想念や妄想による混乱が静まり、心の中が澄んでくる。
エネルギーの消耗が無くなり、自分の内側からエネルギーが満ちてきて、もともと豊かな自分に気づくことができる。
豊かな自分で在り続けることで、自然に視野が広がり、物事をより全体から捉えることができるようになって、何事にも上手くいくようになっていくのだね。
悩みや苦しみの多かった重苦しさから解放されて、軽やかに生きることができるようになっていく。
今日もナーダ音に意識を合わせ続ける。
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